インターネットで弘前の桜のライブ・ビューで見ようとしたのだけれど、なぜかうまくいかない。PCでもインターネットでも仕事でも最初からポンポンとうまくいくのは何もないな。最初はすべてトラブルか分からないから始まる。
頭の悪い人間はますます時代から取り残されるな。今の若い人で頭の悪い人はインターネット環境のセッティングなんかはどうしているのだろう?かなり難しいよ、あれ。
私は昔から思っているのだけれど、みんな車の免許を取っている。結構、交通法規とか覚えないといけないんだよね。どうして免許を取る勉強が出来るのに、学校の勉強が出来ないのだろう?と。通信簿オール1の人間でもみんな免許取っているもんな。私なんか、自慢じゃないけど、原付の免許を取ろうかなと昔考えて法規の本を読み始めたら数ページで読むの嫌になったのだから。
今は、それはインターネットだな。インターネットのセッティングやメールの打ち方を覚えることが出来るのなら学校の勉強も出来るはずなのに。
「メールは友達との交流に必要だけど、学校の勉強は面白くないから」という答えかも知れないけれど、それでは勉強は出来ないではなく、やらないということですよね。
まあ何でも良いんですけど、自分の知的限界まで勉強することは大事ですね。人生でそういうチャレンジをした人と、していない人の人生の価値は大きく異なってくるし、死んでからの魂の進化にも大きな違いが生まれるだろうと思うな。他人との比較でなく、自分がどこまで出来るか自分の限界に挑戦しないと。そういうテーマを持って生きている人とそうでない人の世界観はずいぶん違うと思うな。そうでない人には見えない世界があるね。まあ、50過ぎれば、基本的にもう遅すぎるな。好きに生きれば、としか言いようがない。
文句の多い人は、何かに真剣に取り組んでいない人が多いですね。「私だって、仕事しているわよ!」、「家事だって毎日やらなくてはならないし、何のおかずを作るか悩むのよ」ってね。
何かに取り組んでいる人は、何かをすることが如何に大変かを知っているから、人の大変さも分かる。だから人に対する文句も出にくいですね。そして思いやりも出てくる。何もしていない人が、している人との違いを理解するのは今生では無理な気がするな~。
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