中村天風とかクンバハカというタイトルでインターネットで検索してみた。うーん、いろいろあるけれど本質的にそれらを理解していると思われるのはどこにもない。読んでいてむなしさだけを感じる。
私も教義に関して新しく気付いたことや知識は増えているのですがHPやブログに書き込む気にならない。やはり教義の本質は人から人へと伝えていくものでしか身につかないと思うから。きちんと学んだ人間の復習としての文章は価値があるけれど、どこに何が書かれれていたという知識では意味がない。教義は知識や言葉ではなく、感覚的に、知覚的に理解しないといけないものだから。このままいくとクンバハカの本質も理解されることなく霧散霧消してしまいそうだ。天風会が教えるクンバハカは、何も理解できない人に教える、「とりあえずの方法」なんだから。「とりあえずの方法」が「それがすべて」になって伝わっていくのだろう。宗教というものはみんなそういう伝われ方になっている。教祖が大衆に分かるように便宜的に教えたものがすべてだと思い、それが本質だと伝わって、本来の本質は異端としてごく少数の人たちの中でのみ伝わっていくことが多い。天風教義も同じ道を辿っている。とりあえず健康になるための手段・道具としては今のままでも問題はないだろうけど。