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安定打坐をしていると静寂に入ります。心も身体も、そして心臓も。心臓の動きがゆったりして止まりそうになります。ヤバイヤバイと思って気を持ち直すようなことが年に一回か二回ぐらいあります。坐禅や瞑想は死の予行演習でもあります。死んでいく死の模擬体験ですね。いえ、死ぬのです。そして死は肉体を離れて魂が宇宙霊の中に入ることです。生きたままそれをするのが坐禅ですね。それが分かっていない人は多いかも知れない。
最近、椅子に座っていて、うとうとと寝ていると心臓が静かに止まりかけるのを感じることがあります。「あっ、ヤバイ!ヤバイ!今、死ぬわけにはいかない」と心臓に意識で気を入れます。
入定といってお坊さんが坐禅をしたまま死んでいく話しがあります。それが実感として分かります。また、自然死というのはこういうことなんだろうなと。私も、もうそういう歳になっているんですね。うとうととしていて心臓が止まりそうになる感覚はほんの最近のことですね。本当はそのまま心臓を止めれば楽いのかも知れないけど、仕事をしている間は人に迷惑をかける訳にはいかないもんな。ひとつ心残りはあるけれど、もう心臓が止まってもいいかな?とは思っていますね。それに昔から死亡願望がある。

人間は、人と人の間に生きている人という解釈が小学生の時から聞いています。だから人間関係を大切にしろと。人間とは人になるのにまだ間(ま)がある人という解釈をしている人もいます。確かに、人というのは心やその人の文化を持ったイメージがありますね。そして人間とは単なる動物を意味しますね。
私は、人間の間は、やはり「あいだ」ではなく、「ま」の意味ではないかと感じます。「間(ま)」を生きている人という意味ですね。で、間(ま)とは何か?ですね。時間を生きている間かも知れませんし、もっと深い意味があるかも知れませんね。

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