先日、ある女性から約半年ぶりに電話が掛かってきた。
「今、どこにいるの?」
「◇△▽」
「そう、」とだけ答えたが、その声の場所は明らかに東京かその近くの波動だった。
「自分の顔は自分のものであり、自分のものでない」という言葉がお寺に飾れていたという話しを以前に書いたことがあります。その時はその意味が分からなかった。
しかし、今日、分かりました!
そうなんです!自分の顔の中に親の顔もご先祖の顔も師の顔もみんな入っているのです!自分の顔は自分だけの顔ではない!
自分の顔を潰すことは親の顔を潰すことなんです!自分が嘘を言うことは親が嘘を言うことなんですね。自分が人の道に外れた行為をすることは親も人の道に外れるのです。自分の不名誉は親やご先祖の不名誉なんです。
その人の顔に親やその人の修行の師が見えるというのはそういうことなんですね!
自分が不倫など低次元を生きるということは、親も、ご先祖様も、師も低次元になるのです。自分が高次元になると、その瞬間、親もご先祖様もみんな高次元になるのです!
あの言葉はどういう意味なんだろうとずーっと考えていたけど、答えを得るということはそういうことなんです。すぐに答えをそれを書いた坊主に聞きに行くことではない!
日本は恥の文化と言われています。そういうことなんですね。自分の顔が恥をかくことは、自分の顔の中にいる親もご先祖様もみんな恥をかくことになるのです。
高次元の人から見ると、そういうことがその人の顔の中にみんな見えてくるのです。
人の顔の中に、波動として親やご先祖や師の顔が重なっているのです。親から遺伝子として顔が繋がっているというだけでないのです。波動として重なっているのです。
だから顔を見ればその人の親や師が分かるということなんです。波動として顔の中に一緒にいるからなんですね。まるで量子力学だな。いえ、真理の世界はそうなんです!
低次元の人は、自分の顔は自分だけのものだと思っているのです。親とは関係が無いと。そうか、そうか、やっと分かった!
確か2年前の夏期修練会である人の顔を見ていたら、「あっ、この人、ずいぶん長く坐禅をしているな。なかなかレベルの高い高僧に学んでいるな」と分かりました。その人の顔を見ていると、その背後にいる高僧の顔が私には見えてきました。
その人に近づいて行って聞いてみたらその通りでした。
昨年の6月の勉強会で、ある女性の顔を見ていると、その人の父親の人生が見えてきました。そういうことなんですね、その人の顔の中にその人の親や師が、こちらの心眼で見えてくる。私レベルでさえその程度は見えるのだから、見える人が見ればみんな見えるのです。だから自分の顔は親の顔であり、師の顔なんですね。だから自分が低俗な行為をすることは親や師の品格をを引きずり下ろしていることなんですね。だから自分の顔は自分のものではないのです。逆に母親や父親を見たら、「この人の娘はずいぶん遊んでいるな」ということが見える人には見えてくるんでしょうね。娘の波動が親の顔に本人の意識と関係無くテレパシーで転写されるのだろう。(親子は細胞レベルのテレパシーで繋がっているとは以前書きました。同じことですね。)私は今までそういう逆の見方はしたことがないけれど、きっとそうなのでしょう。逆もまた真なり、ですから。真理の世界とは怖いですね。
いえいえ、だから真善美の世界に生きると絶対安心なのです。正しく生きていれば見られることは、いつも見守ってくれている絶対安心の世界になり、不適切な生き方をしている人にとっては、見られることはいつも監視されている恐れの世界になるのです。
見えないものが見ることの出来る人の目を畏れないといけないですね。それは同時にお天道様(宇宙霊)の目でもあるのです。見えないものが見える人は宇宙霊と繋がっている人なのだから。PR