「運の悪い人とは付き合わない方が良い」と霊視能力者に言われたこと、松下幸之助も運の悪い人は採用しなかったことは以前に書きました。
運が悪い仕事はなぜか次々にトラブル。昨日は昼にニンジンを入れているビニール袋のテープを包丁で外そうとして、プシュッ!と左手人差し指の第一関節付近をバサッと切った。10日ほど前も同じ指の根元を割れたコーヒーカップのナイフのようになっていた取っ手で切ったところなのに。
ここんところトラブルが連続して起きている。昨日の夕方、昨年11月に注文を受けてなぜか作るタイミングが作れずに来ていた運の悪い仕事が、途中の運の悪さを乗り越えながら何とか完了して最後の出荷検査で電気回路がトラブッて、夜に急いで町田まで運び電気回路屋さんに修理を依頼し、帰りの電車も線路に人が飛び込んだ(死ぬところまでは行っていない)ということで遅れた。
トラブルは原因不明で回路屋さんにいろいろいじられて、更に私が作った光の心臓部が壊れたらしい。しかし私は将来のために、なぜかもう一個作っていた。ここが最悪を回避できる道を用意していたのは私の直感?
トラブルは一本道、逃げないで格闘して解決するしか道はない。
そうして実力が上がっていく。トラブッた時にどう対応するかが人間のレベルが問われるところだな。その人にとって嫌だと思うことが起きた時にその人がどういう態度になるのかを見極めないと人生の良いパートナーは見つけられないな。でもそうしていると誰も結婚できないかもね?
運の悪い人間は、それと格闘して乗り越えることで人間として凄く成長する訳ですよね。そういう意味では運の悪さは運の良さになるわけです。
そういう運の悪さという現象やそれに対する心の持ち方は過去世のカルマからの持ち越しのような気がするな。まず逃げない心を持つことですね。
何もしない、人が解決してくれるのを待っている、刹那的快楽に逃げる、じーっと閉じこもって問題が過ぎ去るのをただ待っている。それらが心の病ですね。
何事も自分が自分で格闘して解決するしか道は無い。自分で解決して初めて実力が付く。「何々だから」、「何々だったから」という言い訳を言っている人間は早めに捨てた方が良い。成長のパートナーではないから。
運の悪さを運の良さに変換できた人を偉人と定義しよう。名声は関係が無い。
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