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魂と家系

天風教義は個人の生き方としては正しいと思うけれど、それだけでは解決できないものも多いような気がしてきましたね。歴史を勉強していると、歴史を金(キン)の流れで見るとひとつの流れ(歴史観)が見えてくる。言語という観点から見るとやはりそこにひとつの流れ(世界)があるようだ。
大きな本屋に行くと、コンピューター関係の領域に入るとそこにもひとつの世界がある。天風教義で人間や人生を見るとそこにひとつの世界がある。しかしそれがすべてではないような気がします。本屋の大事なコーナーではあるけれど一コーナーでしかないのと同じですね。そして人は自分の関心のあるコーナーだけに没頭してそれしか見えなくなる。
私みたいに宗教やスピリチュアルなコーナーだけでなく、歴史のコーナーも見、技術のコーナーも見、経済のコーナーも見、という人は少ないかも?
天風教義で家庭の問題を解決した話は聞かないですね。子供がぐれたぐらいは問題の内に入らない。
日本という世界にはご先祖様もいます。家族の不幸の連鎖は家族の一人が天風教義を実践したからといって解決しないようです。実際に天風会も昔から人間関係がごたごたしていると聞いています。偉い人でも人間同士の感情の確執はどれほど何かが出来る能力を持っていても、真善美や空になれなかったみたいですね。個人の修行ではどうしようもない世界があるということだと思いますね。
インドのヨギは悟るために家族を持たないし家族を捨てているから、そういう問題は考慮しないで済むというだけではないでしょうか?
天風教義は素晴らしいけれど、それだけで良いのかな~?という疑問が出て来ています。ただ誰もまず自分を作らないといけない。自分を作るひとつの道具、指針、哲学として天風教義は価値があると思います。
10数年前に見て、その時録画した「モンゴリアン・テイル」というモンゴル(内モンゴル)映画を何回見ても、息が苦しくなるぐらい胸が締め付けられて涙が止まらなくなる。そんなの天風教義で解釈する範疇にならない。それは私の魂が持っている過去世の記憶か、または今生の判断の過ちと重なるからでしょう。
天風教義の実践で自分は浄化できるかも知れないけれど、自分が傷つけた人の魂は浄化できない。人は生まれ変わっても心の癖はなかなか直らないような気がするな。




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