「本当に個人的な体験は、それを表現する言葉を持たない」と高校時代に読んだ哲学者か賢人の本の中にあった。その通りだと思いますね。
真理を雄弁に語る人は真理を会得していない。うん?それって、俺のこと?
中学二年の時に過去世と未来を垣間見たことは40代の半ばから人に言えるようになったが、でも中身は誰にも話していない。その内容を胸に生きている。
高校二年の時に臨死体験に近い経験をして命の底に書かれている言葉を知った。その言葉も誰にも話していない。私の胸の中に死ぬまであるだけ。おそらくそれは死んでからもあるのだろう。それを人に語っても人にとって意味が無いから語らない。それは私にとってだけの真理。
40代の半ばに空から降ってくる声(よく宗教的体験と言われるもの)を聞いた。それは音楽家が空から音楽が降ってきたというのと同じもの。
無念無想も無念だから言葉で表現出来ない。空間的4次元の世界と言っている。
これらのことは如何なる理屈よりも優位に立つ。
臨死体験をした人は、その体験はその人にとって如何なる宗教理論より優る。
真に個人的な体験(瞑想や安定打坐の中の体験も含まれる)が信念になる。
ただ気をつけないといけないのは、邪気・悪鬼に引っかかった体験かどうかを吟味しないといけないというのはあるな。悪鬼・邪気は神様の顔をしてやって来る。
今日、なぜか、たまたま、リインカーネーション(生まれ変わり)というアメリカの映画をyou-tubeの中に見つけて見た。生まれ変わりや過去世は知らない方が幸せだな、という映画だった。実際、そうだろうなと思いますね。まあ、知ってしまうことも縁起だから仕方ないが。
ひとつのことは、ひとつの原因で起きるのでなく、過去や過去世のいろんな原因が絡み合ってひとつの現象が起きている。だから良し悪しを簡単に判断できないな。その原因の中に過去世の自分が作った原因もあるのだから。
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