『晴れてよし曇りてもよし富士の山 もとの姿は変わらざりけり』
これは、幕末の政治家・山岡鉄舟が剣の悟りを得た時に詠んだ歌です
(東京都神社庁『生命の言葉』三月)
そうですね、解釈はいろいろあるようですが、迷っている時に見る富士山も素晴らしかったけど、悟って見る富士山も違いは無いという意味?
悟ってから見る富士山は悟る前に見たのと違って、何か特別な凄いものが見えるようになるだろうと悟る前に期待していたけど、悟ってみても見える景色は何も変わらないな、ということなんでしょうね。富士山は真理を意味するという解釈をする人もいますが、私は、「悟ったからといって見えるものは何も変わらない、どの段階であっても”存在”は美しい」という解釈を今はしたいな。いずれまた違った解釈ができるかも知れないけど。
こういう詩は考えて作ったものでなく天啓のように、フアッと出てきたものだろうから、悟っていない人はいろいろ解釈するんですよね。別な見方をすると、悟っていない人は算数のように意味を限定しないと分からないが、分かっている人は何に対しても当てはまる公式のように共通項としての意味と捉えるかも?
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