箱の中に紙をいっぱい重ねることが出来るように、2次元は3次元の中に無数に積み重ねることが出来ます。同じように4次元の中に3次元を無数に重ねることが出来ます。
言葉無き4次元の真理は3次元で無数の表現によって表されます。
だからどの宗教が正しくてどれが間違いだということはありません。
この理屈が正しくて他は間違いだと言うこともありません。
ひとつの真理の表現が違うだけです。その言葉や行動が正しいかどうかは、真理である深い慈悲があるかどうかです。
真理(そのひとつが例えば慈悲とか愛)は時には様々な言葉で表現され、時にはいろんな行動で表現され、時には仏像などの形で表現されます。
日本では、富士山の頂上に登るのに上る道はいくつもある。どの道を選んでも頂上にたどり着けると言います。しかし、キリスト教やイスラム教ではどうなんでしょうか?それぞれの宗派の覚者同士はそう言っているのかも知れませんが、教団としてはそんなこと言っていないと思いますね。最後の正義を自分のところに導こうとして権力争いや喧嘩をしたり戦争をします。それは真理への登り口から逸脱していると思いますね。
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