時間は過去から現在へ、現在から未来へ流れていると誰もが思っています。
時間は未来から流れていると言う人もいます。それも一理あります。
私が思うに時間は、過去からの流れと未来からの流れがぶつかっている所が、”今”だと思いますね。だから過去や未来が見える人がいる。
その未来からの時間(波)の生まれている場所は点ではなく線ですね。点発信ではなく線発信。だからぶつかっている今が移動していってたどり着く場所はその線の中の一点なのですが、その場所は今は決まっていない。幅があるということです。その幅は人によって違う。狭い人もいれば広い人もいる。未来においてヤクザの親分になるか救世主になるかの幅を持っている人もいれば、公務員になるかサラリーマンになるかの幅しか無い人もいます。それは過去から背負っているカルマのせいでもあるし、背負っている使命の違いによるのもある。それは生まれながらのものですね。
今を正しく生きなければ、段々とたどり着く未来はその幅の端っこになって行くということですね。
ちなみに過去も点ではなく線だと思います。過去に対する認識の違いによって過去は変わる。それを変えるのが観念要素の更改ですね。分かるかな~?
過去が変われば未来が変わる。なぜなら今のベクトルが変わるからね。
「何でも感謝に振り替えろ!」というのはそういうことですね。
殺人や裏切りは未来三生のたどり着く方向を決めることになるな。だから今、裏で賄賂を貰いながら国を外国に売っている人達、「バレないから大丈夫!」と言って不倫している人達の未来は可哀想だな。その結果は因果律だから誰も助けようが無い。時間の流れは無数の因果律の糸の繋がりでもあるな。
真理はどの次元で見るかで見た目の法則が違ってくるので、過去・現在・未来が同時に存在していて時間というのは存在しないという見方の出来る次元もあります。まあ、こういうのは普通の頭では付いていけないな。
基本的には、「お天道様が見ている。ご先祖様が見ている。」だけで庶民は良いんだよね。それで人生、合格。それ以外、何も無し!
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