ある人に明らかに若年性何とかの傾向か、脳梗塞の前兆が見受けられるので、私は人に嫌われることは気にしないので、遠慮せずにズバッと聞いた。
「○○さん、最近何か身体の悪いところあります?」
「いや、別に何も悪いところはありませんよ。ずーっと健康です。」
「そうですか?身体の動きが鈍くなっていますね?」
「歳のせいかも知れません。」
確か、彼は私より一つか二つ下だったと思うけど、ボーッとしてゆっくりな動きになっていて、以前のような切れがない。惚けの始まりに見える。
毎日、呼吸操練や統一式運動法、安定打坐を実践していてもそれぞれの運命には勝てないのかな?それとも天風教義の実践に何かが足りないのかな?
前にも書いたことあると思うけど、まじめであることは必要だけど、まじめなだけではダメなんだよな~?自分で、あ~だこ~だ工夫してその微妙な違いを認識して進化しないと会得出来ない。
天風教義というのは総合力として大した内容だと思うのだけれど、ピンポイントで考えた場合にどうなんだろう?例えば、惚け防止、鬱を治す、腰痛を治す、ガンを治す、仕事運を良くする、というようにまずはピンポイントで多くの人は希望するよね。ピンポイントで人々のニーズに応えられるかどうか?「腰痛を治すのにそんなにたくさんのことを実践しないといけないなんて面倒だ。腰痛に瞑想?そんなの関係ない!」ということになりかねない?鬱病の人の瞑想は注意しないといけない。余程の指導者がいない限りむしろしない方が良いかも知れない。まあ、腰痛に関しては天風教義は予防にはなると思うけど治せないと思うな。
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