「世のため人のため」とか「真善美」とか「調和」とか教える会は、天風会も含めて多いけれど、そのほとんどは、「自分のため」しか考えていない。
「天風会ほど天風教義を勉強しないといけないところはない。」と20年前ぐらいから私は言っているのだけれど、今もそう思う。
「調和」も喧嘩しないように、言い争わないように、もめないように、静かに静かに目立たないようにが調和だと思っている人は多いようだ。
先生と呼ばれている人で、「宇宙霊、大自然との調和は何なのか?」を考えて判断行動出来ている人は何人ぐらいいるのだろう?
「なるほど!さすが、天風会で先生と呼ばれている人は違う!」と思えたのは、杉山会長(当時)と山田務名先生だけかな?会員の中には、市井の中で一隅を照らすべく、目立たずにこつこつとやっている立派な人は結構いる。
これはスピリチュアルな本を読んでいる人にとっては当たり前の知識ですが、
信じなくても知識は持っていた方が良いものですね。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。もし、そうだった時に役立つし、そうでなかったときは、何を知っていても知らなくても無に帰すのだから、信じることも信じないことも意味が無くなる。「生きていた時、あの世とか、生まれ変わりなんてあるはずがない、バカバカしいと思っていたけど、死んでみたらやっぱりそんなものは無かった。」というケースは生じない。すなわち信じないことで生まれるメリットは何も無い。だったら万一そうだった時のために、信じていた方が良いということになるな。
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