今日、「すべては今のためにあったこと」中山靖雄著海竜社刊を池袋のジュンク堂で買ってきました。帰りの電車の中で読み始めました。涙が止まらなくなって恥ずかしい思いをしました。昔は人のいる所では泣かなかったのにな~、40過ぎてからだな~、涙もろくなってきたのは。「涙を流すなんて人間がまだ甘い!」とかつては人に言っていたのだけれど。でも自分のことで流すのと、人のことで流すのはきっと違う。
私は、いつも、「今日の日に出会うために過去があったのだから、過去はすべて善。もし過去のひとつでも違っていたら今日という日は無かったのだから」と言っています。
問題は、「今日から変わるために出会ったのにもかかわず、今日も明日も何も変わらずに過去の流れのまま生きるのが罪」だと言っています。縁は変わるためにあるもの。縁は本来の出会いのためにあるものですね。変わるための縁を捨てる人もいます。そういう人の方が多いのかも知れない。
人間、変わるのが怖いのです。だから不幸のままでも、幸せになりたいと口にしながらも、そのままの方が安心できるという不思議な心を人間は持っている。慣性の法則ですね。たとえそれがマイナスでもそれを維持しようとする働きがあるのだろう。その方向を変えるには別の大きなエネルギー(意志力)が必要になる。人生を変えるのに自動車のハンドルを回すようにはいかない。自動車のハンドルを回すように変えるのが、絶対積極であり、霊性心の発現ではありますね。
確かにな~、時速50キロ、100キロで走っている車を外側から方向を変えることはほとんど難しいね。よほどの大きな車でドンとぶつけないといけない。命がけだな。
人を他の人が変えようとすることはそういうことだな。ほとんど不可能だな。車の運転手が自らハンドルを切らないことには。ハンドルにパワー・ステアリングは付いていないと思うな。
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