先週の日曜は3ケ所のお寺を回ったが、今日は8ヶ所もチラシ配りに回った。文京区は本当にお寺が多いのにビックリした。インターネットの地図を見ながら回ったのだけれどそれに載っていないのがたくさんあった。回っている内に思った。庶民にとって教義の善し悪しなんか分からない。教義を比較検討して信者になるケースなんて微々たるものだ。要するに縁なんですよね。そして次が空気(雰囲気)なんですね。空気の大切さをずいぶん今日は感じた。信者は教わったことを、この教えは一番だと信じているだけなんです。そしてそれが身に付いているかどうかはまた別問題ですね。
文京区は浄土宗のお寺が多くて、あるお寺で出てきたお坊さんに聞いてみた。「あのう、仏教のことはよく分からないのですが、浄土宗と浄土真宗はどう違うのですか?」と。実際、私は知らなかったのですが。(まあ、知らないというより覚えていなかったというのが正しいけれど。)
法然上人が作ったのが浄土宗で、その弟子の親鸞が作ったのが浄土真宗で、その違いは、云々、云々と一生懸命教えてくれました。で、言われました。「浄土真宗のお坊さんに会ったら法然上人の教えに戻りなさいと言ってください」と。「なるほど、そういうことですか。分かりました。」と言って去りました。まあ、何でも直接聞いてみるもんですね。直接聞いたことは忘れない。
ちなみに昔の私だったらその後、お釈迦様の話を持ち出して理屈の喧嘩を売っていたかも?素直に話しを聞いただけで理屈の議論をせずに下がるなんて、なんて人間が出来たのだろう!???アハハハハ。私に一生懸命教えてくれたお坊さんは30代後半か40ぐらいの年齢でしょうか?相手が若いと余計に素直に聞けるのかも?それは私が歳を取ってきた証拠?かも。昔、おじいさんが子供の話を「なるほど、なるほど」と一生懸命聞いてくれたのを今は私が聞く立場になった?議論をせずに聞けると言うことが丸くなるということか?お爺さんに似てきたということか?