昨日、仕事でG県T市に行った。駅前に日本うどんコンテスト二年連続日本一になったうどん屋Hがある。前回始めて行った時、食べてとても美味しかった。
確かに日本一だけのことはあった。出汁がちょっと甘いけれど。
昨日4時過ぎに食べようと行ったらレストラン部は閉まっていた。しかし隣の販売店は開いていた。聞くとレストラン部は3時閉店だと言う。さらに聞いてみた。
説明書きに、「明治の始め、日本橋で食べた瀬戸内のうどんの美味しさに感動して云々というのがありますけど、瀬戸内というのは讃岐のことですか?」と。
「いえ、違います。小豆島のことです。当時は讃岐うどんは東京にはありませんでした。讃岐うどんは地元で食べられていただけです。」と返ってきた。
何と!日本一のうどんの原点は小豆島のそうめんやうどんだったのです!
「そうですか!私、小豆島!うどんやそうめんについては舌がうるさいんです。」と答えた。で、明治初期に小豆島の人が東京で何をしていたのか?
インターネットで調べてみました。すると、日本橋を造ったのは小豆島の人間(石工)とあるではないですか!さらに国会議事堂の石組みも。まあ、さらに調べるとそれは豊島(小豆郡土庄町豊島)からの人達だとのこと。そういう人に提供するために、うどんやそうめんの職人も一緒に来ていたんでしょうね。小豆島は、石と石工で有名だったのですが、豊島もそうだったとは知りませんでした。
戦史は自分でいっぱい本を読んでいたけれど、学校で習う歴史なんか勉強したこと無かった。年代の数字を覚えたり、自分と関係のない人の名前を覚えるなんて勉強の意欲が湧かないけど、こういう地元の人が何をやってきたかということを教わっていたら興味を持って勉強していたかもね?
豊島も石と石工で栄えていた時があったという訳ですが、10年ぐらい前ですかね?不法に産業廃棄物を捨てられる島として有名になっていました。栄枯盛衰ですね。私の村も栄枯盛衰の象徴みたいな村ですが。昔の繁栄は跡形も無い。ちなみに本当に自分の仕事を楽しめる人は職人だと思うな。大きな会社の経営者じゃないと思うよ。私は自分のことを、”光の宮大工”と言っています。
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