本当に、”いやはや”ですね。思考の天動説から地動説への変換みたいだ。考えてみると地動説を感覚的に知覚している人はいない。みんな地動説ならぬ天動観念の中で生きている。地動説は単なる知識でしかない。天動説を知る前の人類は地動説も無ければ天動説もない。天が時間とともに季節とともに回っているという意外に何もない。人間の思考や想念も同じなんですね。自分が考えているという観念以外何もない。それに何も疑わない。まあ、知識のある人は少しは疑うけれど。たとえば利己的遺伝子によって思考させられていると。少しは私もそれは理解している。思考しているのではなく遺伝子によって思考させられていると。
ヨガの真義を読んでいると、うーん、なるほどそういうこともあり得るか!とビックリする。
ただ、天風先生の書いた「真人生の探求」よりはるかに難しい。それは翻訳の問題もあるが、天動説(自分が考えているという概念)しか無かったところに突然地動説を示されたようなものだ。瞑想で無心になるということの意味がまったく別の意味を持ってくる。ちなみにこの著者は柔術七段だと書いている。日本にもしばらくいたのかも知れない。柔術七段と訳されているが大元の英語がどういう単語を使っているかだな。少なくともチベットとインドで修行したと書いてある。とても苦労して悟ったとも書いてある。
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