上映会参加予定者が3名減って1名増えて111人になりました。まあ、当日に宴会芸の練習のために減る可能性もありますし、当日参加の人がどれだけ出てくるか予測が付かない面もあります。まあ、101人以上にはなるでしょう。それにしてもこの映画を見ることは、その人の魂にとってとても大きな気づきを持たらすことになるのではないかと思います。本編にはyou-tubeの予告編では分からない内容の深さがあります。
多くの禅僧や天風先生の描く円相にはそんな意味があったのかと気付かされる部分もあります。円相は、あたやおろそかに出来ないものなんですね。いろんなケースで何も知らずに、「へ~、この円相は凄い!」なんて感想を述べていたのが恥ずかしい。何も分かっていないのに分かったつもりになっているという無知なる恥を晒していたんですね。
それにしても人が自分の魂のための黄金を掴むチャンスを捨てて、その日に石ころを掴むことが無いように希望したいものです。でもそれもまたそれぞれの魂のレベルに応じての縁だから私としては如何ともし難い。
相撲協会は野球賭博に溢れ、どこかの会は学びの進化向上より宴会芸に勤(いそ)しんでいる。北国の農閑期の宴会文化が浸透しているみたいだ。本当に日本は平和なんだな。本当は魂の世界はもうそんなにのんびりした時間なんて無いのにな。
毎週日曜に護国寺に行くたびに、「日本は本当に平和でいいな~」と涙が出そうになる。昭和10年頃の貧しさで、「一日三食白い米のご飯が食べられること、娘を売る必要もなく家族で一緒にいられること、寒い冬に家の中で凍える必要のない生活ができること、その三つが出来ればこの世は天国だ、他には何も要らない」と多くの日本人が思っていた理想の社会が今の日本です。そんな理想のはずの国の中で、「誰がどうした、こうした。私は・・、私は・・・」と不平、不満、批判と文句と自己主張に溢れています。そういう中で魂の進化に時間が残されていないと気付いている人は、パチンコ、酒、カラオケ、宴会という文化からは離れて魂磨きの世界に歩み出しています。宴会を楽しんでいる人には見えないんだよね、時間が残されていないことが。SF映画的に言えば地球破滅の前に破滅を知らずに宴会を楽しむ事は大衆にとっては、楽しみの中で滅びるのは良いことかも知れませんね。気付いている少数の人は魂のレベルをジャンプして自分の肉体を脱出したアストラル体が進化した惑星へと移住する。そんな本がここ10年多くなっています。実際は同じ地球でも次元の異なる人間によって三次元を共有して生きているというのがこれからの地球ですね。見えない人は見えないし、見える人は見える。次元が違うと同じ場所に居ても交流が起きえない。そんな地球になりますね。というか、もうなっていると言えるかも知れません。
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