娘の霊にささぐ 小林謙策
わたしが、家庭における子供の教育がいかに大切であるかを、身にしみて感じたのは、昭和30年6月に、ただひとりの娘に突然自殺されたときからです。
当時、わたしは、長野市浅川中学校の校長をしておりました。人さまの大切な子供をおあずかりして、教育しなければならない立場のものが、自分の娘の教育さえ満足に出来なかったのはなぜだったのか、19年間の娘に対する教育のどこが間違っていたのだろうか。何はなくとも、平和で楽しかったはずのわが家に、突然おそったこの悲しみ、苦しみが、厳しくわたしを反省させたのです。
わたしは、家庭における子供の育て方に大変な間違いをおかしていました。生来わたしは、勝気で、負けることが大きらいな性分でしたから、娘に対しても、小さいときから「えらくなれ」と言って育ててきました。大きくなるとさらにそのうえに「人よりえらくなれ」という意味さえつけ加えておりました。
娘は小学校、中学校、高等学校までは、だいたい自分の思いとおりに伸びてゆきましたが、東京の大学に行ってからは、そうはゆきませんでした。あらゆる努力をしてみても、自分よりすぐれているものが、幾多あることを知ったとき、もはや、わが人生はこれまでであると、生きるのぞみを失い、新宿発小田原行の急行電車に投身自殺をしてしまったのです。娘が母親に残した最後の手紙には、「両親の期待にそうことができなくなりました。人生を逃避することは卑怯ですが、いまのわたしには、これよりほかに道はありません」と書かれ、さらにつづけて「お母さんほんとうにお世話さまでした。いまわたしはお母さんに一目会いたい。会ってお母さんの胸に飛びつきたい。お母さんさようなら」と書いてありました。
それを読んだ妻は、気も狂わんばかりに、子供の名前を呼びつづけ、たとえ一時間でもよい、この手で看病してやりたかった・・と泣きわめくのでした。
この姿の中には、子供と母親の心の結びつきの深さ、親子の真の人間性の赤裸々な姿をみることができました。
考えてみれば、子供は、順調に成長してゆけば、だれでも「えらくなりたい」と思うものなのです。這えば立ちたくなり、立てば歩きたくなり、歩けば飛びたくなる。これが子供の自然の姿です。心ない草木でさえも、常に伸びよう伸びようとしているように、子供は無限の可能性をもって、伸びよう伸びようとしているのです。それなのに、わたしは愚かにも、娘に向かって「人よりえらくなれ」といいつづけてきたのです。「自分の最善をつくしなさい」だけで、娘は十分のびることができたはずです。
わたしは娘の死によって、家庭教育の重要性を痛感いたしました。そしてひたすら、子供とはどういうものか、親はどうあらねばならないかを追求しつづけてきました。親は子供の伸びる力を信じて、認めて、引き出してやる大切な役割を持っているのです。ことに母親と子供との魂と魂のふれ合いの中から、本当の情操ゆたかな子供の人間性が育ってゆくのだと気づきました。
わたしの、悲しい経験から生まれた、この家庭教育の講演をお聞きになって、一人でも多くの子供さん、お母さんが、幸せになってくださったら、その姿の中に、わたしの娘は永遠に生きつづけることができるのだと信じて、そこにわたしの生きがいを感じることができるのです。命あるかぎり、わたしは、この問題と取り組んでまいります。 (東京家庭教育研究所のHPより)
小林謙策は明治40年長野県に生まれ35年間小中学校の教諭、校長を歴任。昭和30年6月、一人娘に自殺され、その深い悲しみを自分自身の家庭における子育ての反省として家庭における正しい親子のあり方を探求し東京家庭教育研究所を創設。研究の末「親が変われば子供が変わる」という家庭教育の原理を考え出し講演、著作にと努力し昭和58年に退任。平成元年5月に逝去。
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