偏見かも知れないし、間違いかも知れないけど、英語で、mind, spirit, soul,と区別されるけど、spiritとsoulの違いは難しい。私には分からない。
日本語で言えば、魂のレベルを見た時にアメリカ人のレベルは、日本人に比べて低いと思うんだよね。もちろん日本人にも低い人はたくさんいるし、アメリカ人にも高い人はいるのだと思うけれど、総体的に何となくそう思うんですよね。一神教のせいかな?一生懸命、一神教の神を信じないと心が持たないのかな?それだけレベルが低い?(向こうから見ると、一神教の神を信じないのはレベルが低い人間と見るのだけれど。)
良い人、すなわち魂が高いというのとまたちょっと違うと思うんだよね。アメリカの田舎に行くと良い人はたくさんいるけど。
神を真面目に信じている人は品格があると思うのだけれど、罪の言い訳として信じている人も多いのではないかと思うな。神を信じていたら戦争や人殺しやボロ儲けは出来ないと思うのだけれど、それは別物と信じているようにアメリカでは見えるな。
アメリカは10年ごとに戦争してミサイルや弾薬の在庫を消耗して、そして新しいのを買い込んで軍需企業を儲けさせている。すなわち戦争経済で国が保たれている。殺人も当たり前のように起きている。警察官も簡単に人を撃ち殺す。
大半のアメリカ人は自分だけが儲ければそれがハッピーと思っている。
日本人は概ねみんなと一緒がハッピーと感じる。隣よりちょっとだけ豊を幸せだと感じる。支配したり独占することは考えない。分け与える人が多い。
「アメリカ人も寄付を日本人以上にするじゃないか?」と言う人もいるけど、罪滅ぼしとしての宗教的義務の寄付だよね。大金持ちはまるで売名行為的に自分の名前を使っての寄付だよね。ビル・ゲイツなんかその典型だよね。
アメリカは多くの寄付をしないといけないほどの乞食が多い。サンフランシスコの今年は昨年以上に乞食が増えていたように感じる。日本人がアメリカで乞食にお金を恵むとそれはアメリカの恥になるよね。日本で外人がホームレスにお金を恵んでいたら日本人はどう思うだろう?それは日本の恥だよね。
アメリカでは貧しくて公立学校に行くことの出来ない子供のための学校がある。そういう学校は金持ちの寄付で成り立っているのかも知れないけど、金持ちがお金を独占しないでいい案配で分配すればそういう学校は必要なくなる。お金を独占して貧乏人をたくさん作っても罪の意識は感じないで、貧乏人の子供のための学校に教会を通して寄付をすれば自分は善人だと思っている。そういう考えは日本人には合わないと思うな。
そうですね~、アメリカには「いい案配」という観念が個人にも企業にも国にも無いような気がするな。「このあたりがいい案配だろう?」というレベルが日本人には存在する。大企業の社長と平社員の給料の差だって、案配で決められていると思うな。賄賂だって日本にもたくさんあるのだろうけど、「この金額ぐらいが、ちょうどいい案配だろう?」と案配で決めるな。アメリカや中国にはそんな案配は存在しない。すなわち日本人の魂のレベルは高いんだと思うな。
とは言いつつ、今の日本人には活力とか品格は無くなっていると思うな~。
品格は重心が下半身に落ちている真っ直ぐな姿勢と人生哲学(または信念)が醸し出されている顔から生まれるのだと思うな。日本人は二度、戦争に負けている。太平洋戦争とバブルの崩壊と。バブルはアメリカの金融戦略よる発生と崩壊だったから。戦争に負けると顔から品格が無くなるのかな?日本人は真面目だから余計に打ちひしがれる?
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