絵や写真を見てそれを描いた人、撮った人の心が多少は自分なりに読めていたけれど今自分が撮った写真を見て読めないですね。20代の半ばに写真に凝ったことがあります。そして10年前も一眼レフカメラを買って写真を撮っていました。それから比べて今の私の感性は、なんかずいぶん変わったような気がします。昔は意図して撮って良い写真が撮れなかった。今は特に意図しないで良い写真が撮れる。自分が撮った写真が自分が撮った写真じゃないような気がする。カメラのせい?いえいえ力が抜けて適当に撮った写真が教科書的でない結構面白い写真になっていると思う。我ながらちょっと神懸かり的な出来映えで私の実力ではないような?なんか不思議だな。
この正月、田舎でいとことその娘と亭主の3人の写真を撮った。「あれ~?どこかでこんな写真見たことあるなぁ~、何だろう?」と考えていたら30年前にそのいとこが二十歳の短大卒業時の正月にその両親(私の叔父、叔母)と3人の写真をまったく同じ場所で撮っていたのを思い出した。30年経ってまったく同じ場所でそのいとこの娘が大学卒業する今年の正月にそういう写真を撮るというのは不思議な偶然だ。そこで写真を撮るということを考えていたわけではない。たまたまその場所で出くわし、たまたまカメラを持っていたから、「写真を撮ってやろう」と言ったまでで何も考えていなかったけれど考えてみたら30年前の正月とまったく同じ光景だった。ただ子供が親になって世代が変わっていただけ。で、その場所は15年前に亡くなった叔父が描いた大きな絵が飾られている小さな神社(荒神山)の石の階段の踊り場だった。孫娘の大学卒業年度に30年前の娘の卒業年度と同じ光景の写真を撮るように叔父に計られたのかも?その間の30年間一度も私は彼らの写真は撮っていない。たまたま30年ぶりに撮った写真がそういう写真だった。30年経って世代が変わってまったく同じ写真を撮る。幸せというものはそういうものですね。
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