前にも書いたけれど仕事が次々に入ってくる。「どうしよう?」とため息が出る。技術的に出来ないものはできないと言えるのだけれど・・・・やれば出来るものを出来ないとは言えない。仕事が多すぎると何から始めて良いか身体がフリーズしてしまう。これも自分が蒔いた種。
昨年、「板橋のマンションを売るべきか売らないでも大丈夫か?」を自分でO-リングテストをしたときにどちらでもOKの答えが出たけれどその意味が今分かるような気がします。でもここ美女木は不便は多いけれど板橋のマンションは売って良かったと思っています。ここは富士山が見られるし。抗酸化処理している部屋の中にいると落ち着くし。
男の幸せは後顧の憂い無く仕事(狩り)に専念できること。女の幸せは自分を守ってくれる存在(自分と自分の子供のために食料を確実に持って帰る男)があること。これが数十万年の人類の作り上げてきた形ですがこれが壊れ始めている。女も狩りに行きたがるし、また狩りに行かなければ生活できなくなっている。都市生活形式では男と女の仕事の区別がほとんどない。戦争にしても現代の戦闘機の操縦は女にでもできるようになった。そして男も家事や育児をしなくてはならなくなってきている。役割分担が消え単なるコストの分担が始まっている。これは良い悪いではなく人類の種としての変化かも知れない。結婚しない女、結婚できない男が増えているのは、その変化時おける摩擦の現れですね、きっと。人類の進化の先端かも?先端にいることでの犠牲ですな。表面的には男の犠牲が大きいけれど子供を産まないことで大きい目で見ると女の損が大きいような気がする。目の前の小さな自由という幸せを選ぶことで将来の大きな幸せと動物としての満足を失うことになるのだから。人間はどこまで行っても動物なのだから。幸せという観点から見ると古い形を守っている方が遺伝子のプログラムになじみやすく幸せ度は大きい。進化の先頭グループはいつの時代でも死屍累々になる。その後ろに続く者がその恩恵にあずかることになる。
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