この宇宙を貫いている法則の一つに因果律がある。自分の経済的利益のためにはいかなる手段をも使うという人が結構いる。それは二つのグループに分けられる。法律に触れない限りなんでもするという人と、多少の法律違反をしてでもという人に分けられる。法律に違反してもという人は論外として、自分の利益のために相手から見て卑怯な手段を取ってきた人は、たとえば実例でこんな人がいます。それまで問題の無かったヘルニアや痔を発症し手術をする羽目に、ある人は糖尿病、喘息、、膠原病を発症し、別な人たちは次々とガンで死ぬという具合になった。でもそういう人たちは自分ではそういう因果律によるとは全く思いもしない。たまたま運悪くそういう病気になってしまっただけで、常に自分の考え、行為は正しいと信念している。
自分に起きることは100%自分に責任があるという考え方はあるが、私もかなりそれに納得もしているが、かつて私に卑怯なことをした人たちがガンでなくなったり10年経っていろんな病気や身体の不調で苦しんでいるのを知ると因果応報だと溜飲を下げる心も私の中にまだある。そういう人たちに因果律を説いても聞く耳を持たない。「私が痛みを取ってあげましょう」とヒーリングしてあげようとも思わない。もちろんそういう人たちはヒーリングなんてうさん臭いという考えの持ち主でもある。
それにしても人間は勿体ない生き方をしている。「勿体ない」という言葉はエコの世界で世界語になりつつあるが、自分の隣に自分の問題(病気など)を解決する方法を知っている人がいてもそれを何も知らないまま病で苦しんでいる。むしろその隣に嫌がらせさえしている。そういうのも「勿体ない」ということですね。
逆に自分のためでなく常に人のために良いことをと思って生きている人は余慶があるということですね。必要なものを必要なときになぜか偶然人が運んできてくれる運命になる。見返りを考えることなく人のために良いことをしていると知らず知らずのうちにお返しがあるということです。古い言葉に、「積善の家に余慶あり」とは本当のことですね。因果律とは有り難いことです。
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