韓国や中国の反日が、ずーっと問題になっていますが、民族も個人も相似形だと思いますね。自分が親から、特に母親から一番愛されてたという自信がある人は何事にも落ち着いているし、人に対する思いやりも自然に持てる。自分が愛されたように人を愛することが出来ます。
ところが自分は他の兄弟姉妹より親から愛されていなかったという思いのある人は、ずーっとひねくれた考えをします。それは何歳になっても変わらない。子供は、何でも自分が一番愛されているという自信が心のどこかで必要なんです。そうでなければいつまで経っても理不尽な不満と欲求が続く。必要以上の、時に無意味な我が儘の欲求を獲得することで親から愛されているという代替愛を得ようとする。不良なんかはそうですね。目立つことで、注目されることで愛の替わりを求めている。
他宗教否定の宗教に熱中するのも同じ事ですね。自分の信じる宗教が一番であると信じたい。すなわち自分が一番であると認められたい。
他宗教も肯定できる人は親から充分愛された自信のある人ですね。
昔、ウーマンリブ運動で盛んに気勢を上げていた女性で美人はいませんでしたね。幸せそうな女性もいませんでした。
彼女たちは、「自分たちの思想は正しい!」と愛に飢えた悲しい悲鳴を上げていた。そして愛の無いセックスに愛の代替を求めて走って行った。
何か、似ていませんか?反日と。
韓国・朝鮮の二千年の歴史を勉強していると、とても神様に愛された民族とは思えない悲惨な歴史があります。内輪もめと暗殺に反乱、分裂、虐殺の歴史です。とても歴史に愛された民族とは言い難い。歴史に愛されなかった民族は、親に愛されなかった個人と同質ですね。だから歴史をねつ造してまでも歴史に愛された一流の民族だと信じたいのです。
「自分は、(親から愛された)一番でなくても良い」と腹が据わったら、大人になるのかも知れませんね。民族の悲惨な歴史を直視した時に初めて正しい誇りが正しく立ち上がれるのだと思いますね。なぜなら自分の先祖はそのような歴史を生き抜いてきて、今の自分の命まで繋げてきたのだから。感謝と誇りですね。
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