宗教というものに拒否反応を示す人も多いが、宗教に没頭している人も多い。
しかし日本ほど宗教施設や宗教活動の多い国はない。墓参りもお盆も秋祭りもクリスマスも除夜の鐘も初詣もみんな宗教ですね。日本ほど宗教が空気の存在のようになっている国は無い。空気のようにその存在が余りにも自然なので、日本人の宗教観と空気感の共通性を説明しても外人には分からない。
宗教というと、洗脳、金集めというイメージを持つ人が拒否反応を示す。それは宗教と宗教団体との区別が付いていないと言うことですね。宗教と宗教団体とは違う。
私は何ぞや、この人生をどう生きればよいのか?と考えること自体宗教ですね。哲学と区別付かない。宗教と科学も本来区別が付かない。科学は神の摂理を知ろうと始まっている。哲学者のソクラテスは神(宇宙霊)と繋がっていた。ニュートンの論文の80%は宗教論文である。ニュートンにとって力学や光学論文と神に関する論文との区別は無かった。
科学を勉強することは宗教を勉強することでもある。哲学をすることは神の摂理を考えることでもある。
前に書きましたが、何事も未分離から始まり、分離、独立、連動、統合というように進化は進んで行く。一部の科学者を除いて今の多くの日本人にとって科学と宗教は分離の段階ですね。
そういう意味で天風教義は広義の宗教になる。しかし会が会員を洗脳しないし、金集めもしないし、会員に勧誘を強制しないし、辞めるときに引き留めの何の言葉もないし、宗教団体に認定されていないので狭義の宗教ではない。そういうことですね。人によってひっかけられるのではなく、天風教義は誰かに洗脳されるのではなく、自ら求め、自ら気付き、自分で自分を洗脳する宗教ですね。
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