過去世というものがあるかどうか?
そんなもん、在るわけ無い。 あるのなら、ここに出してみろ!ですね。
在るか無いかと言えば、無い。 あるのは今だけ。今、今、今の連続だけ。
しかし在ったかどうかと言えば、在った。
人間、オギャー!と産まれた時に過去世は忘れるように出来ている。
忘れているものは、存在しないとも言えるし、存在するとも言える。
それは認識論の問題ですね。しかしながら、まれに、おっちょこちょいが忘れることを忘れてしまって記憶が残っている人間がいる。病気や事故で臨死体験をして、または私のように何かの拍子で記憶を見てしまう人間もいる。
何の本にはこう書いている。仏教の何々宗では無いと言っているというように、過去世が在るか無いかを知識で議論するのは意味が無い。
スイカを食べたことのない人間同士がスイカの味を議論しているようなもので、実際にスイカを食べたことのある人間はその議論の中にはアホらしくて入らない。お釈迦様の”黙して語らず” ですね。 そして中途半端な知識は害になる。
心が”今”に疎かになって、”過去”に言い訳をして”未来”に逃げて行く。
それと次元の問題でもある。
3次元の世界では過去世は存在しない。あるのは今だけ。
4次元の世界では存在する。
5次元の中では過去、現在、未来すべてがその中に一緒くたに入っているので過去世、未来世は存在しないということになる。なぜなら時間が無いから。
時間が無い世界では、過去も未来も存在しない。そのすべてが入っている所から情報を引き出すことの出来る人が覚者になるわけですね。未来を読める人は5次元のそこから情報を引き出している訳ですね。
天風教義で言えば、それが「安定」です。仏教で言えば、般若の智慧ですね。
今を正しく生きるのなら、過去も未来も何も心配する必要は無いということです。
すべては今の連続。それが仏教でもあり、天風教義でもある。
まあどっちにしても、過去に言い訳をして、人に責任を押しつけて、”今”を正しく生きていない人は過去も未来も大変だ。それに気付けば、充分な悟りだと思う。
時間とは何か?というのは本当に難しい問題ですね。私にはまだ分からない。
ある覚者は言いました。「因果とか過去世というのは本当に難しい問題なのでお釈迦様のように高いレベルで悟った人を探して聞きなさい」と。
「日本人はなぜ、過去世にこだわるのか?」とも言いましたね。
「分からないことは考えるな!」とも言ったかな?
基本的には、知る必要がないから忘れるようになっている。
今の科学には、時間とは何か?空間とは何か?生命とは何か?という質問に答えは用意されていない。科学はそれらの現象を述べているに過ぎない。
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