私の田舎では、日本の多くの田舎も同じだったと思うが、昭和30年代の半ば頃、タバコの栽培が多く行われていた。段々畑がタバコの葉だらけだった。
お互い助け合って葉を刈り取って、一族総出でそれを蔵の中に吊して何日か乾燥させて、それから村全体で一緒に共同の乾燥蔵へ持ち込んで24時間火を焚いて乾燥させていた。それを何日も繰り返していた。
一族(数家族)一緒に働き、村全体でも一緒に共同作業をしていた。その時、小学生の私の役割は子守だった。乳母車に乗せられている赤ん坊(従妹)の面倒を見ていた。村全体でみんな一緒に一生懸命仕事をしていた。火の番の男は朝まで一睡も出来ない。人々は幸せを感じる余裕も無く現金を求めて働いていた。今思うと一族一緒に、また村全体が一緒に作業(仕事)をしている姿は幸せな時だったのではないだろうか?細かいことを見れば、誰が働かない、誰は火の番をしようとしないとか、誰がどうのこうのという大人の世界はあったのだろうが。それらは日本中、当たり前の風情だった。我が村に田んぼは無かったが、昔は田植えや稲刈りでは日本中、助け合って共同でしていたのではないだろうか?当時、田んぼの無い村ではタバコの葉を栽培することは良い現金収入だったと思う。
当時は村の子供みんな(男の子だけ)で行う何百年も続いている正月やお盆の行事があった。子供の時から共同で何かをする訓練がされていたんだな。
日本の良き時代ではあったと思う。そういうふうに、家族、一族、村の当たり前の助け合いの日常が幸せなのではないだろうか?いつも汗いっぱいで働いていたけど。時代時代に合った現金収入を求めて人々の仕事は変化していった。
多くの子供は成長して都会に出て行った。つまるところ、現金を求めて都会に出て行ったんだな。江戸、明治、大正と全国でも有数な豊かな村(外からの見た目は地味で貧村みたいだが、各家の門の中に入るとビックリ!という感じ)は現在、高齢者率、島一番になっている。それは全国でも有数ではなかろうか?
栄枯盛衰だな。思うに人は思い出が宝じゃないのかな?そして、思い出を持って、すーっとこの世から消えていく。それは幸せだと思うな。
記憶を消したい人もいる中で、思い出が宝の人は幸せだと思うな。
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