心身相関とか心身一如という知識は持っていても40歳以前では実感として感じない。心と身体はそれぞれという感じですよね。または身体の中に心が宿っている感じですね。40歳過ぎて仕事や家族人間関係で大きなストレスがかかることで病気になると心身相関というのが納得し始めます。
怒りやストレスと腰痛の関係を実感し始める人が出てきます。50歳過ぎると心身相似形が分かり始めます。心のイライラが身体のイライラとして同時に現れます。60歳過ぎると心が身体を作るという段階が分かり始めます(私はまだその年齢になっていませんから仮説ですけど。)心が身体より優位に立っていると言うことですね。
もちろんいくら歳を取ってもそういうことを理解できない人はもちろん多いです。歳を取って車いすに乗っている人の顔を見るとたいてい頑固そうでそういうことを理解しようとしない人の顔ですね。40歳過ぎたら自分の肉体の現象はすべて自分に責任があるのです。40歳以前も本当はそうなんですけどなかなかそれが理解できないのです。「私は病気になるような悪いことは何もしていない。これは遺伝です」と言って。
自分で心をコントロールできないから身体をコントロール出来ない。心を自在にできると身体も自在に自分で治すことが出来るようになる。「考えるの止めよう」と思ったらすぐに無心になれるようになったら身体も無心になる。身体が無心になると身体の自浄作用が働いて身体が身体の修復作業に入る。
無心になるには実はその前に身体を無身にする必要があるのです。それから無心ですね。その次が安定ですね。
すなわち、「無身」→「一心」→「無心」→「安定」→「真人瞑合」ですね。
「実我」とは、村長さんの定義では、「自己に内在する言葉無き実在」ですね。よく出てくる表現としては、「自分の中の自分」ですね。詳しくは明日の日向ぼっこ村の勉強会で。
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