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東京壊滅

私は3月19日早朝、東京脱出のため田舎に帰った。気持ちとしてはもっと早く、18日には帰りたかったが仕事上そういうわけにもいかなかった。3月16日から19日の四日間が最も危険だった。20日には原子炉は少し落ち着いたように感じられた。マンションの部屋の内側からガムテープで放射能が入らないように目張りをして、ドアも外側から目張りをして帰った。私の感覚は当たっていたということですね。大多数の国民は何も知らずにテレビが安全だと言っているので自分には災害が降りかかってこないだろうと生活していた。18日に何人かに部屋の内側からガムテープで目張りをしておくように言ったが誰も本気にしなかった。しかし改めて私の読みは正しかったと思う。
建屋が水素爆発したぐらいでは福島県の領域被害に止まるが、原子炉自体が水素爆発、水蒸気爆発したら福島どころではなく東京もひどく被曝する。人が住めなくなると言うのは現実に迫っていた。原子炉が爆発したら東北のみならず関東一円、パニックになった。それから逃げてももう遅い。逃げるという行動で被曝することになった。その時は逃げずに窓やドアをガムテープで目張りをして部屋の中で数日閉じこもるしかなかった。そこまで考えている人やニュースは無かった。
もちろん福島第一原発の現場では多くの人が命がけで働いていた。その人たちを信頼して東京から逃げずに運命を共にするという判断も尊い。

首都圏壊滅の危機感 菅前首相に聞く 東京新聞2011年9月6日
 2日に退任した菅直人前首相が5日、本紙の単独インタビューに応じ、東京電力福島第一原発の事故発生当初に原子炉の状態が把握できず、水素爆発が相次ぐ中で「東京に人っ子一人いなくなるような事故に拡大するかもしれない」と、首都圏壊滅の危機感を持ったことを明らかにした。事故の体験から「日本の技術なら大丈夫」との考えが変わり、7月の「脱原発依存」宣言につながった。
菅前首相は、事故四日後の三月十五日に東電本店に乗り込んだ理由を「午前三時ごろ、海江田万里経済産業相(当時)から『東電が第一原発から撤退の意向を示している』と言われた」ためと明言。「(第一と第二で)十基の原発と十一個の核燃料プールを放置したら、何時間か何十時間の間に原子炉とプールの水は空になり、どんどんメルトダウン(炉心溶融)する」との危機感から、本店に政府と東電の対策統合本部を設けたと述べた。
その上で「撤退したら今ごろ、東京に人っ子一人いなくなっていたかもしれない。まさに日本が国家として成り立つかどうかの瀬戸際だった。(旧ソ連)チェルノブイリ事故の何倍、何十倍の放射性物質が出ていたかもしれない」と説明。こうした体験から「日本の技術なら大丈夫」との考えを改め、原発に依存しない社会を目指そうと思ったという。
五月六日に中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市)の運転停止を要請した理由は「東海地震が発生する確率が非常に高いとの研究結果があり、事故が起きたら完全に東京と大阪の間が遮断されて、日本の経済、社会に極めて大きな影響を及ぼすから」と話した。
九州電力玄海原発(佐賀県玄海町)の再稼働目前に新たな安全検査の導入を決めた理由は「(経産省原子力安全・)保安院は、私の知らないところで、保安院だけで再稼働を判断する従来のやり方を取ろうとした。それでは国民の理解を得られないと言った」と述べ、経産省の対応を批判した。太陽光などの再生可能エネルギーについては「産業的にも可能性があるが、電力業界と経産省が三十年前から抑え込んできた。それをどう突破するか。私も頑張ってやろうと思う」と述べた。
高速増殖炉もんじゅ(福井県敦賀市)の運転再開や核燃料サイクルは「技術的に極めて難しい。根本的に再検討する時期にある」との見方を示した。
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