「○○さん、最近なんかありました?」
「いえ、何も無いですけど。」
「そうですか?なら良いんですけど。」
・・少しの間・・・
「村長さんは怖いな~、みんな見抜かれているみたいですね。」
「実は・・・・」(具体的事実は言わず)
「そうですか・・・」
禅問答のような会話だな。傍で聞いている人がいたら何の会話か判らない。
普段余り話していない年上の人の家族事情についてはアドバイス出来ない。
まあ、見ていて「運命は残酷だな」と感じることもあるけど、何も言えない。
その人が過去世から背負い、また今生で作ってきた業(カルマ)から起きている事情だから、その人がそのカルマを一人抱きしめて生きるしかない。
そういう時に限って、そういうことが見えない人は無邪気に笑顔で、その人がその時一番辛いことの頼み事をする。「今、それはヤバいだろう!」と思ったけれど、私が何かを口に出来る立場ではない。無邪気故に許されると言うか、無邪気は最強と言うか?それもまたその人の運命かも?と黙って見ていた。
先々週だったかな?いつも使っているクリーニング屋さんのご主人が亡くなった。10数年前に脳梗塞を起こして、店先で毎日日向ぼっこをして時間を過ごしているようなご主人だった。70半ば過ぎかな?でも私は奥さんにお悔やみの言葉は何も言えない。
奥さんが家の中から店の部分に出てくる時、あ~、遺影の前で泣いていたな、と判るけど、いつものように何も変わらない態度と言葉でクリーニングをお願いするだけだ。人は悲しい時は悲しめばいいだけだ。時間薬が効き始めてきた時に何かをアドバイス出来ることもあるかも知れない?
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