正当性という概念も不思議な存在だな。「韓国の文在寅は韓国には国家の正当性が無い、北に国家の正当性があると考えているようだ。」という説がネットにあった。国家の正当性を主張するために中国共産党も、清から何も受け継いでいないのに清国や歴史(捏造)を持ち出したりしている。
インデアンを虐殺して土地を奪ったアメリカという国家に正当性があるか?アメリカは正当性とか歴史的にどうか?という発言は決してしない。現在の支配権、治世権がどこにあるかのみを言う。
アメリカの国籍を持ったらみんなアメリカ人だけど、日本人から見ると、日本国籍を持っているだけでは同じ日本人とは見ないよね。
大抵の日本人は先祖からの流れを考えるよね。それで自分が正当な日本人であることを意識的に、または疑問を思わずに無意識に自覚している。
国家の正当性、自分の正当性という存在の意識が人間の中に存在しているのは不思議だ。天皇の存在も大抵の日本人にとって当たり前だが、マッカーサーが「これからは私が日本の天皇になる。」と宣言していたら、日本人は彼を新天皇として受け入れていただろうか?
誰が卵子の母親か精子の父親か分からないのを試験管で受精させて、貧乏学生のアルバイトでその女性の子宮を借りて産まれたベイビーは成長して自分が人間としての正当性を持てないので気が狂うという説もある。
「自分は自分」でいいではないか?と若い時に思っても、なかなか感情がそうはいかないのが人間が他の動物と違う点のようだ。「自分は誰から、どのようにして生まれて来たのか?」を知る必要がある動物らしい。少なくとも1万数千年の流れを持つ日本人は、そういう意味で幸せな民族だと思う。その家の歴史を教えるのが母親(または祖母)の役割だと私は思っている。家の歴史を知ることは大事なことなのだけど、戦後の制度や教育は家族文化や歴史を破壊して、個人から弧人にしている。アメリカなんかも今は「弧人の集合体」のように感じる。
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