北九州では雨による災害と犠牲者が出ていますが、子供の犠牲はいつでも辛いですね。60過ぎていれば、「まあ、一人分の人生を生きたのだから、」と納得出来る部分もありますが。中国から飛んで来るPM2.5などの毒素を山や大地から洗い流すために、神が九州に豪雨をもたらしている見方もあるでしょうね。まだ私には意味が分からないのは、人身御供とか人柱とかですね。犠牲者は霊的に言えば神による大地を清める人柱なのかも知れない?それは私には分からないけど。水害は被害でもあるけど、同時に畑や田んぼに山の土の栄養素を運ぶ恩恵でもありますね。人の幸せは、一生の間に地震・水害や火事などの災害や警察の冤罪に遭わないで、人生を家族に囲まれて家で終えることですね。冤罪も辛いですね。でも冤罪にされる人は、過去世で警察官をしていて冤罪を作った人だったかも知れませんね?何事も魂の因果応報?難しいね。
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