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病は忘れることによって治る

「病は忘れることによって治る。」という言葉があります。この理解はやさしくない。
確かに病の時に忘れろと言っても忘れられものではないのが普通ですね。
小学生レベルでは、「なるほど趣味や何かに夢中になっている時は病のことを考えないのだから、何かに夢中になれば良いんだ。」と。大抵はこのレベルですね。
「病を忘れるには自分を忘れる必要がある。それには座禅や瞑想が良い。」これが中学生レベル。
「無念無想になれば自我が無くなる。自我が無くなれば病が無くなる。なぜなら病はカルマにより生じるものだから。人間本来病無しというのはそういうこと。」が高校生レベル。
「無念無想になると空になる。空になると宇宙霊と繋がる。宇宙霊と一体になる。自我も肉体も無い。その間、肉体は肉体本来の姿になり病が消える。無念無想とはブザーの鳴り終わった一瞬の一秒であり、寝るときに起きている意識と寝入ってしまう間の境の一秒、すなわち交感神経と副交感神経が交代する一秒が空になり、その時、宇宙霊と繋がる。ずーっと無念無想は維持できないのだから、一日の中にできるだけ多くの一秒を作ること。病を忘れるとは無念無想になる時間を多く持つこと。」が大学生レベルですね。
ここまで段階的に教えている先生は天風会にはいないな。はははは。
それは無念無想になった時の自分の身体の感覚を把握できていないからです。
ブザーの音と鐘の音の違いを理解していないからです。
でも、普通の天風会員はそこまで理解する必要は無いですね。そういうことを考えるとその知識自体が雑念だから。ブザーを聴いてただ安定打座をしていれば知らなくても効果があるのだから。だから知ることによってそれを意識して効果が薄れるということはあるかも知れないな。天風先生が座禅と安定打座は、「似て非なるもの」と言っているのはそういうことです。




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