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若い世代

最近(約半年で)、30代前半と20代半ばの女性と話す機会がありました。
「おばさん達はどうでもいいの!若いおね~ちゃんを連れて来て!」とおばさん達にいつも言っているのですが、私と縁が起き得ない若過ぎるのが来てもな~、困ったもんだ。ちょうどいいのが来ないね。はははは、というか、トホホホというか?
彼女たちは私たちの世界と違う世界に生きていますね。その世界にこちらが適応しないといけない。相手の世代に求めるのでなく、こちらが向こうの世界に降りていかないといけない。降りていくというか、上がっていくというか?どうして今頃、20代半ばの女性が私から話しを聞きたいと言って来るのだろう?
「こちらがおじいさんの世代になる前に、もっと早く言ってこい!」と言いたかったけど。こちらが、おじいさんの世代になって、孫の世代に近いと言える若い女性が寄ってきてもな~。ちょうど良いというのはいつも無いな。すべてはずれてやって来る?
相手の価値観に、こちらは心の中で頭をかきむしりながら聞いている。私は普通の人よりはちょっと見えるからね。
父親として受け入れられるのと、おじいさんとして受け入れられる範囲は違ってくるね。おじいさんとして聞ける範囲は広くなるね。子供も父親に話すよりお爺さんに話す方が話しやすいな。お父さんの知識よりお爺さんの智慧を聞きたがる?
娘を持つ父親はつらいね。もし私が結婚をしていて娘を持っていたら父親のつらさに耐えられただろうか?無理だな。
何も気付かない、何も見えない、何も知らないが父親の幸せの原点かも?
それにしてもどうして私は武士階級の価値観を持っているのだろう?いや、武士の価値観というより仏教の価値観なのだろうか?仏教でもキリスト教でも人間の生き方のルールはほとんど同じですね。「なんじ盗むことなかれ」、「なんじ姦淫することなかれ」ですね。古い日本の庶民(特に農民)は違います。今の日本は数百年前の農民に先祖帰りをしているのだろうか?
ちなみに仏教でもキリスト教でも戒律(ルール)があるということは、その戒律とは逆の現実が当時あったということなんですね。日本の神道には戒律はありません。古代日本は、戒律が必要無いほどに善良で安定した社会が形成されていたのでしょう。おそらく、「自然の真善美に従って自ら感じて生きよ」なのかも知れない?
それは学校の風紀が乱れてくると学校規則が多くなるのと同じですね。善良な生徒ばかりの学校では規則は必要ないということですね。





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