渋谷駅プラットホームを歩いていると白隠展のポスターがあった。やっぱ、凄いね。
近いうちに見に行かなくては。渋谷の文化村でやっているらしい。
天風先生を批判している教養人もたくさんいるようだけど、人物の歴史の信憑性や教えの言葉の分析をすることも大事なことだけど、誰であろうと私はその人の姿勢や作品を見る。時にはその人の出す声や鐘を叩く音で判断する。
ここで天風先生の書や絵について論評はしないけれど、白隠禅師がどれだけ凄いかは、その描いた絵を一目見れば分かる。白隠禅師の描いた絵が載っている駅のポスターに目が釘付けになった。いやはや、凄い!脳みそがクラクラするね。
クリック→白隠展とりあえず一言:
地の声、天の声、クンバハカや安定(あんじょう)を会得できないで天風先生や教義を高い知的レベルで批判するのは、精密な1mの物差しで1kmを測るようなものだな。それもひとつの見方ではあることは私は否定しない。その1mの物差しは精密であることは認めます。分析的批判精神は必要ですね。そしてその思考方法が仕事に有効なことも認めます。
半知半解ならまだ良いけど、半知誤解というのは多いな。女の場合はそういう事って多いな。こんなこと書くとまたおばさん連に怒られる?ちなみに私は誤解された時は大抵、言い訳も説明もしません。縁が無いものと判断します。誤解する人に説明してもそれを理解する柔軟性や許容力が無いのが普通ですから。
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