「そんなことしてたら家の恥だよ」、「家に恥をかかせるわけにはいかない」というような「家の恥」という概念はいつからあるのだろうか?どのようにして出来たのだろう?
今の若い人はそういう概念を持っているのだろうか?少なくとも私の世代の男は大抵持っている。女は知らないけど。昔少なくとも武士は持っていたけど江戸時代の百姓は持っていたのだろうか?名字が無かったからね。名字が無くて家の名誉という概念は持ち得たのだろうか?明治になってすべての家が名字を持つようになって武士階級の「家の名誉」という観念が庶民にも拡がったのだろうか?
武士といえども元々は荘園の用心棒だったわけだから、元は名誉とは関係無いよね。それがいつの間にか名誉なことになって、「恥」という概念を持つようになったのだろうけど不思議だな。刀を持った用心棒が侍になったように今のやくざも五百年も経つと名誉な職業になるかも?「さすが任侠道に生きる人間は素晴らしい」と。
「そんなことをしていたら町の噂になるよ」
「本人はその噂を人から聞くことは無いのだから、本人は誰にも気付かれていないと思っているよ」
「それだとますます家の名誉が傷つくよな」
というような思考や会話は、中国やアメリカの庶民には無いかも知れないな。唯物主義だとそういう「家の名誉」という概念は生まれないと思うな。共産主義は唯物論だから家の伝統という概念は消えるんだな。自分の歴史が親の代までは分かっても、まま祖父母の歴史までは分かってもそれ以前にはさかのぼれない社会では自分という存在の名誉というか、自己存在の確信というか、自分という人間の存在に対する自信というか、そういうのを持ちづらいと思うな。だから家が崩壊しやすくなるし、離婚しやすくなるし、不倫、浮気も安易に拡がる。家に歴史が無い地域ってそういう比率が高いと思うな。
天風教義を学ぶ前に身に付けていないといけない思考があると思うな。その思考を無視して天風教義や他の教えを学んでも沼地に杭を打ち込まないで家を建てるのと同じだな。すぐに傾いて倒れるし、家の中はすぐに湿気でカビだらけになるな。
ちなみに家の名誉というのは母親が教えるもんだな。父親は背中で教えるものだな。父親が口で教えるものではない。そう言えば侍って、どうして人偏に寺なんだろう?すぐ死ぬから?まさか?寺の前で寺を守る人だったから?
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