天風先生述のどこかの本の中で、鈴木大拙との話しが載っています。で、そこには鈴木大拙が禅の理屈を立派に述べているが身体では分かっていないみたいなことが書かれています。今日、買った本の中に、たまたま鈴木大拙の写真が載っていました。「えー!何だ!鈴木大拙はクンバハカをやってんじゃん!」と見たわけです。考えてみると誰々はクンバハカが出来ていないとみんなの前では出来ていない人間のことを言えないわな。今は出来ているから、「あいつは最初は分かっていなかった」と言えるのです。出来ていない人間のことをみんなの前で出来ていないなんて私だって言えない。そう、天風先生が鈴木大拙のことをみんなの前で言ったということはその時点では彼は出来ていたのです。やはり、鈴木大拙は偉いですね。教わったら出来るように努力していたのです。偉い人は偉いのですね。本の半読みをした人間は、「鈴木大拙は禅の理屈だけでその本質を身体では分かっていなかった」とずーっと解釈してしまうのです。今日その写真を見るまで私はそう思っていました。
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