高校2年D組50年ぶりの同窓会。最初で最後の高校の同窓会だけど、23名ぐらい集まりそうだ。その内、男は8名。男子は元々50人中15人しかいない。
予め15人から20人と予想していたので予想を超える人数になる。
進行性筋ジストロフィー末期の女の子は当然出て来れないのだけれど、同窓会の後で彼女に何を伝えることが出来るのか?をずーっと思案している。何か知らないけれど、いろいろ苦労しても明るく、しっかりした心で生きているらしい。
もちろん先生ももう余命1年ぐらいだけどね。同窓会の日までは気を張っているだろうから大丈夫だと思うけどね。
我々の高校時代は今の高校生と違ってプラトニックな面ばかりだったけど、それでも心の中はみんなそれなりにいろいろあった。O(男子)が出てくるとK(女子)は出て来たくないだろうな?というのもある。「Oが参加しないことを伝えると、Kは出てくるかもね?」と幹事には伝えた。それでKは出てくることになったのかな?性格が単純な幹事が知らない裏のことも私はまま知っていることがあるので、50年という歳月は何をもたらすのか?「昔のことは覚えていない。」ということにするのか?それとも、会えばまだこだわりを思い出すのか?だな。まあ、私も複雑な心の世界を持っていた。私は高校時代に既に魂の世界と、この三次元現象世界との矛盾に葛藤していた。心の世界が単純な人生こそ理想だよね。
ちなみに同窓会では私が司会だが、写真撮りもしないといけないので大変だ。
何はともあれ心の中に何かの積み残しではなく、降ろし残しを持っている人はみんな50年経ってすべてスッキリして貰いたいものです。
それも先生の赤血球ガンのお陰ですね。先生の病が無ければ高校の同窓会は一度も開かれずに人生を終わっていたことでしょう。年2回、成績順でクラスの入れ替えがあったから、クラスメート同士のまとまり感とか親近感は無かった。家庭の経済事情で進学しないために高三の途中で就職クラスに変わった人はコンプレックスというか、心につらさを若干残しているケースもあるみたいだが、子供を産み育てることに優る仕事は無い。平凡で普通こそ最高なのです。
予想より人数が増えた人を確認すると、「あんな大人しい子は来ないだろう」と思っていた子が何人か増えていた。結婚して姓が変わって性格が少し変わったのかな?まあ、結婚して子供産んで育てて女としての自信が出来た部分はあるのかも知れないな?誰かと話している声なんか聞いたことが無いような大人しく孤独的な子が参加予定になった。それは良いことだな。何歳になっても一歩前に出る勇気こそ大事。一人一人話を聴いてあげたいけど時間的に無理だな。
PR