前にも同じことを書きましたが、最近、一見正しそうなんだけど、何か変だな~?と思うことがあったのでもう一度書きますが、
(戦前が正しかったという訳ではないですが)戦後の教育で最も間違っているのは、「自分が一番大切」だという教えかも知れませんね。自分の気持ち、自分の命が一番大事だと多くの人が考えています。
「自分の気持ちが納得できないから・・云々・・」、「子供には子供の人生がある。私には私の人生がある。子供の犠牲になりたくない」(それでいて子供に、子供の将来のためと言って自分の希望を押しつける)、「自分の心を大切にして生きたい」と聞くことがままあります。それらは一見正しいです。論理的に道義的におそらく間違っていない。しかし本当にそうなのでしょうか?
男は、誰のために、何のために死ねるかという自分の命より大切なものを自分の中にきちんと持っているのが男の定義だと私は思っています。そしてそれは決して口にすることはない。口にすると壊れてしまうものがありますが、それがそれですね。
女は、自分は自分の人生を使って誰を支えていくかというものを持っているのが女だと思いますね。
自分が自分のために生きるのは命の自己矛盾なのです。
自分の命より大切なものを持っているのが本来の日本人、そういうことなのかも?
心の病は、自分が自分の命より大切だという心から生まれるのかも知れませんね。
人のために、または自分とは違う何かのために生きている人で心の病になっている人はいない。心の病になっている人は自分の気持ち以外思考することが出来ない。
電車の中でも、喫茶店でも人の話しに耳を傾けると、ひたすら、「私は、私は、私は、私は、」のオンパレードです。その次が人の批判、悪口ですね。それでは心の病になるよね。こんなことを書くと、女から時代錯誤だと総反発を食らうかも?
でも、女は自分の命をかけて子供を産むのだから。子供を産む時は、自分の命より赤ん坊の命の方が大切だと思う女性の方が多いのではなかろうか?子供を産む時に、「赤ん坊の命はどうでも良いから私を助けて!」と叫ぶ女性はどのくらいいるのだろう?だから子供を産んだ時の満足感は男には分からない深いものがあるのではないだろうか?すべてはそれと相似形、同じです。
女は、「自分の子供ならそう思えるけど、他の人のためになんて思えない」というのも遺伝子のプログラムとしてそうなのは分かります。男は、それを自分の属している集団のためにというように範囲を拡げて考えることが出来ます。一般的にはそうですが、今はそういうことが男の意識の中に明確には存在しない。自分の勤めている会社のためならという考えはもう存在しない。それはそれで良いことだと思いますね。金銭的利益集団に命をかけてはいけない。
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