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たとえ話

昨日、ある人から言われました。「村長さんは先生をしているのですか?」
「いや、先生じゃないけれど」
「説明がうまいから何かの先生をしているのかと思いました」と。
うまいとか偉いとか言われるのは好きじゃないけれど、自分で分かっていることは、たとえ話や比喩で自由に説明できるはずなんです。分かっていない人は、何の本にどう書いているとか知識でしか話しが出来ない。
知識で話している人は、「それは、こういうことなんだよ」と別の表現で説明できない。自分で会得していれば、相手に合わせて、かみ砕いて説明できる訳ですね。
天風会を辞めた人から、「最初の頃はいろんな本を読んで知識をメモして分かったつもりになっていたけど、結局、何も分かっていないことに気付いた。もっとかみ砕いて説明して欲しかった」という話しはよく聞きますね。
40までは知識と自分の思考主体で良いかも知れないけれど、40過ぎたらそれではダメだと思うな。経験と人格が主体にならないと。60過ぎて知識を見せびらかしたらますますダメだな。知識はスパイス程度に抑えないと。存在するだけで価値が生まれ、孫の小学生が納得できるように教えられないと60過ぎた価値がない?そういう意味では、お婆さんはそこにいるだけで価値が生まれるケースが多いけど、お爺さんの場合は、大抵の家庭で、お婆さんより存在価値が無いからな~。それと同じだな。本に書いている知識は本を読めば良いので、お爺さんから聞きたい内容は、大抵の場合、お爺さんの本の知識ではないな。時々はそういうケースもあるだろうけど。


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