前にも書いたことがあるかも知れませんが、勉強会では話しているけど、天風先生がどれだけ偉いか私には分からない、計れない。
人の声を聞いたり、人の姿勢を見ると、大抵はその人のレベル(悟り具合)が分かるのだけれど天風先生だけはサッパリ分からない。私の定規では測れない。天風先生のひとつの言葉もどれだけ深いか分からない。
何度も書いていますが、天風会で教えているのは小学2,3年生レベル。病は小学4年生レベルを会得すると治る。
信念は実我に元々くっついているのは安定打坐の中で心眼で見えた経験があるので、信念は強くするものでなく、元々持っていることに気付くものと理解していた。「おまえは信念、強くなる!」は仮我の世界の話し。
天風先生は真我にくっついているものだと言っている。そう言えば私はまだ真我については心眼で見たことが無い。今の私には理解不能ですね。天風会に入って20数年経ったけれど、そんなもんですね。分からんね。分からないから続けている。もう分かったと思う人は辞めていく。知識は簡単だけど体認は難しい。
信念とはちょっと違うかも知れませんがついでに・・・・。
ちょっと前に聞いた話し。ある人が何かの病気で入院していてまだ意識がハッキリしているのに、「明日、俺、死ぬから」と言って翌日家族全員を呼び寄せた。本当に翌日亡くなった。
私の父は、「レイちゃん」と呼ばれていた。親しい人達が、「あっそうだ!レイちゃんに会っておかないと」と言って5,6人が連れだって訪ねてきた。そして楽しく歓談してみんな帰った。その夜に父は亡くなった。その三日ほど前に父は医者から何も悪いところは無いと言われていたのに。
ある夜10時頃、遠縁に当たる一人暮らしのおばあさんが、「レイさんの仏壇に挨拶しなくてはと思ったので線香を上げにきました」と訪ねて来ました。
母は、「え~!こんな夜中に、わざわざ来なくても良いのに。明日で良いのに。」と当然言ったわけですが、そのおばあさんは翌々日の朝、風呂の中で亡くなっているのが見つかりました。すなわち翌日の夜に亡くなったわけです。
昨年6月、母は倒れた。お盆までは持ってくれればと思っていたらお盆まで持って8月18日(日)に亡くなった。その日はたまたま兄の仕事が休みで帰省していた日だった。
自然を生きる、とはそういうことですね。
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