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香里夏期修練会無事終了

今年も香里夏期期修練会!高原の涼しさの中、天国でしたね。朝4時半起床、5時過ぎから、川のせせらぎの上の橋に座って暁瞑想約1時間。
それにしても今回ビックリしたことは、二日目の朝の室内行修の前にトイレに行って小便をしようと便器に向かって用を足そうとしていたその時に幼稚園年長組?らしき子供たちが集団で入って来て、最初の一人が私のすぐ傍に立って私をビックリした顔で見上げたと思いきや10数人全員が私をくっつく程に取り囲んで私をビックリの顔で見上げた。いくら子供に好かれる私でもビックリしたな~!子供たちに何かされても反撃できないもんな~。小便をするにできないので止めた。その集団の一人が、「ママのおじいちゃんみたい!」と言った。1~2年前、電車の中で遊んだ小さな子供が私に手を振りながら、「ママじいちゃんバイバイ!」と言って母親に連れられて電車を降りて行ったのを思い出した。
二日目の昼食時に雑談の中で、「人の声を聴くだけで、その人がガンになっているかどうかは分かるよ。」と言ったら、「私はどうですか?」と聞かれたので、「ガンじゃないけど、内臓が悪いね。」と答えたら、「肝臓の数値がどうのこうの、内臓の何とかを切った。」と返ってきた。完全菜食主義になりなさいとアドバイスした。野菜はほとんど食べないと言っていたかな?
初日の観念による重さの違いのテストの時に、私がその人を持ち上げたら、その人の足がつった?というか筋肉の筋を違えた?普段はしないのだが、やむを得ずその場で寝させて足のヒーリングを行った。すると、その人の足の痛みがパッ!と消えたが、その意味は理解しなかったようだ。まあ、その人を下向きに寝させていたので、その人は私が何をどうしたのかは知らないけど。
指導の先生もそれを目の前で見ていたが何も言及しなかった。単にレイキ治療だと思ったのかな?三日目にあるリーダーがレイキのテイーチャーだと知った。なんだ?それを知っていたら任せたのに!と思ったな。
それにしても、丹波篠山は天国だったけど、大阪の蒸し暑さはたまらんね。東京の蒸し暑さのほうが遥かにマシですね。
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テレパシー

テレパシ-の実験は夏期修練会の中で一番嫌やね。テストされているようなものだから。ここ10年(以上?)は物当てではほとんど間違わないね。同じようにして嘘はみんなバレる。私に嘘は通用しないことを知っている人もいる。
テレパシーの会得なんか良し悪しだね。でも、3.11の震災の時は前日や当日に事前に対処していて未然にトラブルを防げたのはそういう訓練の恩恵かな?それとも次の航海で沈没する船から予め逃げるネズミの本能と同じかな?
それは分からないね。天気予報もネット情報の予測より私の空を見ての判断の方が当たる。それは海人(海賊・航海・海運業)族の遺伝子かな?
天風教義では感応性能を上げるのが一番大事と言われているけど、そのための方法論もいっぱい書かれているけど、感応性能って何?というのがイマイチだな。そういうのは天風会入って10年は疑問に思わないね。教わっていることを、「なるほど!」と理解したつもりになるから。
夏期修練会の案内を読んでいると、「また同じような話か?何回も聞くほどでもない。」と思えて来るのは確かにあるな。先生方の話で記憶に残っているのは何もない。先生方の話は聞かなくてもそれでも修練会に参加する価値は、目に見えないけどあると思うな。それが目に見えないから辞めて行く人が多い。
先日、半年ぶりぐらいに来た人の姿勢が悪くなっていた。「自宅で毎朝行修をやっているから大丈夫!」と本人は言うけれど、背骨から芯が抜けていたな。
それは自分では分からない。自分は何も変わっていないつもりなんだよね。
毎年、修練会で基本を繰り返すというのも大事だし、日曜行修会で気の中に入って気を受けるのも大事だな。あういう気は自分一人では作れない。
「飽きる」という心を捨てるというか?放すというか?自分の頭の価値観で判断するのではなく、自分が自分の身体に夏の元気、または身体のオーバーホールをプレゼントするとか、「身体に聴く」、そういう感性が大事だな。身体の声を聴けるようになる前に辞めて行くのは勿体ないな。身体の声を聴けるようになることと、テレパシー能力は同根だと思うな。

行修

日曜行修会にしろ、夏期修練会にしろ参加の度に自分の中で深化するものが無いと辞めて行くよね。深化のためには見本を観ないと出来ないし、見本自体が深化して行く姿を見せないといけない。日曜行修会で見ていると深化している人は少しはいるが遅々としている。教える人はみんな真面目で誠実だけど深化が止まっているからだよね。私がいつも言うのは、この教義の内容なら本来1万人2万人の会員がいて当然だと思うけれど2千人強しかいないのは、毎回参加しても深化が無いからだと。参加の度に何か新しいものを身に着けて帰れる楽しさが無いと若い人は来ないし、来ても辞めて行く。時代は進化しているけど会はそれに合わせて進化していない。「日曜行修会は夏期修練会の復習のために始まったもので教義を教えるためでない。教義は講習会と夏期修練会で教えるもの。」という話も聞くがそれでは人は増えないのは当然ですね。今、時代は既に大きく変わっているし、時代が変化している進行形の時代ですね。教えの内容を身に着けるスピードを速めないといけない時代でもあるので、何もかもガラガラポンで考え直す時が来ているということかな?私も今年の修練会は早26回目かも?「今まで25回も参加していて、この程度か?」という自己疑問はあるな。それでも私にとっては山田務名先生に直接教わった縁と恩は大きい。

宇宙を身体の中に

宇宙の話しのついでに、坐っていて無心がなかなか取れない時は、自分の身体の中(皮膚の内側)に全宇宙が存在しているイメージをすると良い。宇宙の姿が分からない人は本屋で科学雑誌を開いて目の中に焼き付けると良い。自分の中に全宇宙が入ってきてしばらくそれでいて、そのイメージを放せば無心に入る。私は天風会に入って7~8年目はしばしばそうしていた。
ちなみにその時に、皮膚の感覚が無くなれば無念無想だと思う。

霊性

霊性満足、霊性の確立、霊格の向上、と言われているが、「霊性」という言葉は戦前はポピュラーだったとの説もあるが、今一つピンと来ない言葉ですね。
英語では、スピリットとマインドの違いかな?
戦後の日本では、霊性は宗教臭い言葉として理解されるので、多くは拒否反応的になる。現代人に理解されるのは、道徳、倫理、マナー、品格、人格という単語ですよね。感覚的に人格と霊格の違いを説明できないと、と思うな。
無意識に、反射的に助ける行動は霊性だけど、「ここは助けないといけない」と考えての行動は人格ということかな?霊性は発現するのであって、意思を鍛えるのは人格の向上ですね。天風会全体として、それが腹に落ちていない気がするな。天風教義の前半分は健康と人格の向上なのかもしれないけれど、後ろ半分は霊格の確立ですよね、きっと。


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