かなり以前に書いたことがあると思いますが、ソビエト連邦が崩壊して情報公開された中で見つかった情報ですが、第二次世界大戦が終わって、ソ連軍のジューコフ元帥が記者会見をしました。
記者の質問、
「今大戦で一番苦しかったのは、やはりモスクワ存亡の危機であったレニングラードの戦いですか?」
ジューコフ、
「いや、違う。一番苦しかったのは、ノモンハンでの日本軍との戦いだった。」
(レニングラードの戦いではドイツ軍に包囲され、300万の市民の内、80万人が餓死したと言われている。)
ノモンハン事変では、日本はソビエト軍の機械化軍団に一方的に惨めに敗れたとなっています。戦前はそれを国民に隠していた。そこから日本陸軍は近代戦について教訓を何も学ばなかった。
しかし、旧ソビエトの公開された資料を読むと、ソ連軍の方が日本軍より犠牲が大きかった。ソビエト兵も日本軍の攻撃の前で後退しようとすると、「逃げるな!」と後ろから味方に撃ち殺された。戦車兵は逃げることが出来ないように、戦車の中で戦車と手錠で繋がれていた。
これも書いたと思いますが、戦後、日本人はシベリア抑留で、6万人ぐらいでしか(諸説ある)?何万人と死にました。満州からの引き上げ時に20万人(諸説有り、実数はもっと多い)が犠牲になりました。
でも、同じ頃、ドイツでは連合軍によってドイツ人200万人が殺されました。歴史は勝者によって書かれるものです。勝者にとって都合の悪い事実は消されます。日本の戦後歴史教育もGHQによるアメリカ正義史観と、日教組による日本悪者自虐史観が教え込まれました。
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