人は生まれた時から既に死亡予定日は決まっているという説があることは何度か書いていると思うけど、ひょっとしたら、医者の言うことを聞くのも、病気が治る方法を聞かないのも、死ぬべき時に死ぬためではなかろうか?と閃いた。
医者の言うことを聞かなければ、死ぬべき時に死ねない。病気が治る手だてを実行したら病気が治ってしまって死ねない。なので、そんな話は拒否して死の予定日に向かう?まだ死ぬ時期が来ていない人は病気が治るような選択判断をする。そんな話は、「まさか?!」ですが。
今まで、亡くなった人の病気療養時の判断について、「何であの時あの人はあんな判断をしたのだろう?」と何人かについて疑問を持っていたケースがあるのですが、こういう仮説をすると理解できないこともない。
ある人は、ちゃんとその日に死ぬための縁を選び、そうでない人は、死なないための縁を選ぶ。どちらも適切な選択?多くの人が医者の指示に従うのも順調に死の予定日に死ぬため?まあ、こんな仮説は信じる必要はありません。
そんなことを考えているとこんな本に出会いました。日向ぼっこ村で自主上映をした映画「かみさまとの約束」に出ていたすみれちゃんの本です。
クリック→→これは凄いかも?関係のない話ですが、昨日の昼に銀行に行ったらATMは全部人が使っていたけれど、待っている人は誰もいなくて、私が待つ人の一番だった。すぐにATMが空いて通帳を記帳しているわずかの間に後ろにたくさんの人が並んでいた。
1分程度の時間の違いで待ち時間の大違いだった。今日の昼に駅のキオスクでガムを買っていたら、そのわずかな間に、後ろに5,6人の人が並んでいた。不思議にこういうことはしょっちゅうありますね。
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