ミカンはどの家が育てているどの山のどの木のどの辺に成っているのが美味いか子供の頃はよく良く知っていて友達と一緒によく盗みに行ったものです。当時、子供のミカン泥棒ぐらいは誰にも怒られなかった。要するにミカンは木一本一本味が違うのです。都会に出て来てスーパーや果物屋でミカンを買うようになってそういう木一本一本の違いを味わうようなことが無くなった。糖度だけで判断して微妙な違いが区別できなくなっている。人間としての感覚力の低下ですね。日本人の感覚力の低下がいろんな問題の原点かも知れない。ミカンの木一本一本の違いを味わいながら食べるのが一番幸せな時間だったかも知れない。
子供の頃のいろんな食べ物の微妙な違いを区別していた磨かれた感覚の鋭さがひょっとしたら今、安定打坐をすることによって音や空気やいろんな微妙な違いを認識できる元なのかも知れない。
PR