魂の輪廻におけるカルマはとりあえず横に置いて、私がいつも知りたいと思うのは戦前の特高警察の子や孫がどのような人生を送っているのだろうかということです。
かつて特高は拷問によって多くの無罪の人を殺してきました、また冤罪を作ってきました。警察というものは謙虚と反省という概念の存在しない組織なので、特高は拷問で人を殺しても悪いという概念は持たなかった。そういう人間の子孫はどんな運命を背負うのでしょうか?それが分かれば因果というものが少しは証明できるのにと思うのだが。いじめっ子といじめられっ子では、いじめっ子が後々大成したという話しは聞きません。有名になる人はほとんど小さいときにいじめられっ子側ですよね。
中学生や高校生の時に万引きをしていた子供が大きくなって大物になったという話しもありません。
動物や材木を扱う仕事でもどうも因縁があるような気がしています。動物も木々も魂が宿っているのかも知れません。やはり木を切るときも感謝と祈りという昔からの日本の神道の儀式は必然なのかも?材木を商売のための単なる物として扱っているとその家に災難が降り注ぐのかも?ご神木というのがあります。かつてある仏師に聞いたのですが、ご神木から仏像を彫り、残った木を足でぞんざいに扱った弟子が瞬間、ポキッと足が折れたそうです。そんなことが二度続いたので残った木はその木を持ってきたお寺に返したと。材木ですらそうなのですから無実の人間を傷つけるとなると・・・・。足利事件の冤罪問題でもそれを当時担当した警察官や検事からは反省の弁はまったくありません。「私は正しかった」と言うのみです。「私は正しい」と信念して反省も無く彼らは死んでいくのです。その因縁はどこに宿るのでしょうか?警察官は言います。「反省なんかしていたら組織が持たない」と。
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