昨日、日曜行修会で配られた紙の中に、
「人はみな さだめに 活きる ひと世と知らば 心 おほらかに すごさんものを」(中村天風)というのがありました。
天風教義には定められている運命というは基本的には無いはず?男に生まれるとか、女に生まれるとか、どこの国に生まれるかという天命はあっても、基本的な運命は自分で作るもの、という理論のはずですよね?
天風先生も「運命というさだめ」を認めている?ひと世とは何か?とか、この言葉ひとつで天風教義との関連性について1時間や2時間の議論の対象になるけどね。天風先生がこんな言葉を残しているのにはビックリ!ですね。
天風先生は、「天命は変えられないけど、宿命は変えられる」と言っていますよね。ということは宿命は存在するということを認めている訳ですよね?どういう形で宿命が存在するのかは言われていない?
何が決まっていて、何が決まっていないのか?何が自分で出来るもので、何が出来ないものなのか?の判断は難しいね。
私は基本的に昔から運命論者ですね。正確には中二の秋から。
大事な人との出会いは生まれる前から約束事で決まっている、というのは私の経験的確信だな。それは連綿と続いている過去世からの縁とカルマによるな。
それを今生でどうするかによって、来生が変わってくる。
「自分自身を知れ!」というのは昔から偉い人によって常に言われることだけど、そう言われても大抵の人は、「私は自分のことぐらい知っているわよ!」と思っている。
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