日曜行修会などで安定打坐をしますが、リーダー(スタッフ)がその間、郵便物の紙を折ったり、封筒に入れたりすることがたまにありますが、また安定打坐を指導する先生が最中に袋の中からごぞごぞ何かを取り出したりしますが、それらがもたらす音というのは、意識を集中している人間の耳にはもの凄く大きく響きます。
安定打坐が始まると、本来そこは禅宗で言えば禅堂になるわけです。神道で言えば神殿になるわけですね。神殿で神官が神に祈りを捧げている時にごそごそと動く人はいません。
また禅堂で禅僧が座禅を組んでいる時に誰かが動けば、その気配が禅堂一杯に伝わってみんなの意識の集中を乱します。どうも天風会は安定打坐の重要さというか、緊張感が足らないですね。なぜだろう?人数が多いからだろうか?
実は一番危険なのは、何かの理由で気が乱れることで、その瞬間、霊的に敏感な人が何かに憑依される可能性があるということなんです。だからそういうことが起きないように指導者は安定打坐の時間は凄く緊張するのです。まあ、そこまでの危険性を知って指導している先生は天風会にはいないだろうな~。私が指導する時は緊張します。そして時々座っている人の顔を見ます、大丈夫かどうかを確認するために。山田先生の音楽を使った方式は、そういう意味では一番安全な方法ですね。それでも私が指導する場合は緊張します。なぜなら日曜行修会とは集中力が違いますから。
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