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我村の不思議

島の祭りに参加してインターネットで、「ふとん祭り」とか「ちょうさ祭り」、「太鼓祭り」と言われている祭りをいろいろ調べていたら、小豆島の歴史を詳しく調べている人のブログと出くわした。そのほんの一部を紹介します。( )内は私の付記です。
【小豆島に最初に結界を張った人物は、弘法大師である。
小豆島は元々「聖なる島」であった。それは、小豆島風土記に小豆島の別の書き方として「聖跡島」と記述されている箇所があることからも明らかである。
弘法大師は、神道と仏教を融合させるべく、修験道にも励み島を巡り結界を張った。
そして、その結界は脈々と受け継がれてきた。
南北朝時代には、佐々木信胤が受け継ぎ、信胤は自身が敗れ倉敷代官所預かりになった後も、富丘八幡宮の遷宮を行い、北緯34度28分ラインに近づけるべく富丘八幡宮を移転している。
その後、誰が結界を受け継いだか定かではないが、それは現在も続いている。
そして、それを受け継いだ人物が現在もいる。
キトラ古墳に描かれている4神は、「玄武」「朱雀」「青龍」「白虎」。
  「玄武」は、亀の背中に蛇が頭と尾をからめている。北の守り神。山、石をあらわし季節は冬。(偶然、小豆島の北は山であり、石の切り出し場。)
「朱雀」は、火の鳥。南の守り神。海や湖をあらわし季節は夏。(小豆島の南は海水から塩を作る塩田と、それで作る醤油、佃煮産業が盛んだった。)
「青龍」は、龍神。東の守り神。川や水をあらわし季節は春。(小豆島の東は、海運業、回船業、漁業が盛んで港町だった。要するに水の地域。)
「白虎」は、虎。西の守り神。道をあらわし季節は秋。(同じく海運による流通と商業の町と港町になっている。)
「そうです!呪術者は、結界が容易に見破られないように、巧みに四神相応と四方浄土を組み合わせて、それを地名として(小豆島の東西南北に)残してるんです!」

「北緯34度28分のライン。つまり小豆島の3つの八幡宮を結ぶラインですが、東へ伸ばすと伊勢神宮へ、西へ伸ばすと到達するのが対馬の海神神社でしたよね。」
「西はスサノオ、東はアマテラスということですか。」
「ええ。で、この34度28分が到達する所は、伊勢神宮の中でも『月読宮』なんです。」】

(下にある堀越とは私の村(集落)のことです。)
【その日は小雨が降っていた。白髪の老人が一人で入ってきた。
「雨やどりしてもいいですか?」
「あ、どうぞ。降り出しましたね。」
しばらく世間話をしていたのだが、突然その老人が言い出した。
「堀越の山の中に、金・銀財宝が埋っているのを知っているかな?」
知らない。知っているハズがない。知っていれば掘っている。】
【『康永年間、佐々木信胤の末女笹山に隠れ居りしを知り、周囲より石を放ちて遂に死に至らしめたり。これが祟りによりて堀越の人家残らず廃絶にさせしと云う。而して信胤の女の霊を古江の海浜に移し祀れり。これを「音姫の宮」俗に音の宮と云う。』とある。村誌にはこう記されている。それから約200年後。坂手村より久留島氏と壷井氏が堀越村に移住。その後多くの人が移り住み、新たな堀越村が作られる。江戸時代には廻船業や漁業で大いに栄えたと村誌には書かれている。音姫の宮は現在、古江地区の荒神神社の中にあり、古江自治会の人たちの手により丁寧にお祀りされている。】
(財宝?ひょっとしたら私の家の下?そうすると宝の山の上に住んでいる貧乏人という笑い話になってしまう。私の家では私の携帯のバッテリーが一晩で空になるという不思議な現象がいつも起こるのは宝のせい?それとも怨念のせい?)






 

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