真理の会得には、帰納法、演えき法という二つの方法があります。どっちが何で、どっちがあっちか分かりませんが、まず定理を理解して方程式を理解して具体的な問題を解いていく方法と、具体的な問題をたくさん覚えて、覚えた知識の集合によって方程式を理解し、そして最後に定理の理解という道があります。
私の場合は、具体的な問題と解き方を練習して定理を理解する方法は昔からまったく出来ません。まず定理を理解すれば方程式は覚えなくても自分で作れる。そしてそれに従って問題を解いていくという方法ですね。
多くの人はひとつひとつ例題の解き方を覚えて問題をそれに当てはめようとする。
天風会や各宗教においても真理の会得方法はこの2種類の道があります。
「我舌に悪を語らせまい」とたとえば方程式があります。これは定理ではありません。定理は、因果応報、すなわち因果律ですね。みんなそれを聞いて当然だと思います。「マイナス思考をしてはいけない。人の悪口は言ってはいけない」と理屈(方程式)としてそれを理解します。でも現実は簡単にはいきません。「あの人はどうだ、この人はあうなのよ」と語り合います。そして悪口を言っているつもりはありません。「これは悪口じゃないわよ!」と反論します。
「積善の家に余慶あり」ということわざがあります。陰徳を積んだ家には予想外の幸運が舞い込んでくるという意味ですが、私はこの善は、困った人を助けるという行為だけでなく、言葉も含まれるということに気がつきました。
「人の悪口を言うのが、女のストレスの解消なのよ!」と言う人もいます。そういう面はあるのでしょう。電車の中でも喫茶店でも、「あの人はあうなのよ、こうなのよ」という話が常にあちこちから聞こえてきます。
運が良い家というのは、その家の母親が代々、人の悪口を言わないで来た家ではないかと仮説を立てました。母親が言わなければ子供は言わなくなります。男は概ね、人の悪口を言っている暇はないので、家の中で沈黙しています。
そう言うと、「男だって、人の悪口を言う人はたくさんいるわよ!たくさん会社の上司の悪口を言っているじゃないっ!」と反論する人も出てきますが。まあ、そういう面もありますが、会社の上司の悪口を陰でいつも言う人は出世しないと思います。そういう人には余慶が入って来ないのでしょう。そして親の使う言葉が子供の運気に影響するのです。自分自身の問題でなく家族の運に繋がるのです。
私が言いたいことは、子供の運を良くしようと思ったら母親が人の悪口を言わないことです。(亭主が人の悪口を言わないのが前提ですが。)
運というものは一本の理由によるものでなく、様々な糸が絡まってひとつの現象が生まれているのでしょう。だから吉兆を持たらすのは言葉だけではありませんが、しかし言葉はひとつの大事な要素なのです。日向ぼっこ村では、「誰がどうした、こうした」という人の話はほとんどしませんが、天風会が伸びきれないのはそういうことも原因しているのかも知れませんね。それに天風会が説いているのは方程式であって、個々の問題の解説が少ないと言うことですね。体験発表なんかは個々の事例にはなるのですが。
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