自分で会得できていないことを教えても、聞く方も当然会得できない。
数学でもそうだよね。教える先生が因数分解できないのに、因数分解をするとこうなるという最終答えを参考書から頻用しても生徒は出来るようにならなないのと同じだな。手順を教えないとね。手順は自分で解けないと教えられない。
新興宗教でも教祖が亡くなると、分かっていない人が地位や立場を欲しがって、分かっている人を冷遇したり追い出したりする。分かっている人は地位や立場には何の興味が無いので戦うことはしないでそれを受け入れ消えて行く。(この違いが来生の違いになるのだけれどね。分からない人はそれが分からない。)
それで信者は分かっていない人から教わって、「そんなもんなんだ?」とその団体はいずれ衰退していく。教えも事業も三代発展的に続くのは難しい。発展しているところは常に内部改革の要素を持っている。トヨタがそうらしい。内部改革に失敗したのがルノーの傘下に入る前の日産であり、ダイエーであり、三洋でありシャープであり、東芝だな。
何かの教えの会や新興宗教団体では分かっていない人が、
「自分は分かっている。」と思っているからゴタゴタになる。
本当に分かっている人は、人と喧々ガクガクはやらないもの。
おそらく千年、二千年続いている宗教団体では、「私はまだ分かっていない。」というのが教える立場の人の基本姿勢なのかも知れないな。私はそういう所に入っていないのでそれは分からないけど。
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